【コラム】ありがとう、ジョー・バイデン氏
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.11.17 15:28
韓国戦争(朝鮮戦争)が終わった翌年、私は小学校に入学しました。学校は米軍がテントを使ったので急斜面のテント教室で勉強をしました。授業が終わって家に行くためには市場通りを通り過ぎなければなりませんでした。全国からの避難民が入り乱れて一緒に暮らしたその時の釜山(プサン)はとても無秩序でした。
そんな車線表示もあるはずがない市場を通り過ぎようとしていた米軍ジープが、その前を歩いていた私を見つけることができませんでした。ジープが転倒した私をおいて過ぎ去りました。ところが私があまりにも小さかったため、幸い両側タイヤの間に倒れていました。ジープが急停車しました。米軍数人が慌てて車から降りるのを見た私はぱっと起き上がって走り始めました。頭から血を流して泣きながら走る子供と、その後ろを追う米軍の奇妙な追いかけっこでした。息を切らせて家に駆け込むと、ちょうど広場にいた祖母が驚いて私を懐に抱きました。その時に米軍が入ってきました。祖母は大きな声で米軍を問答無用で非難し始めました。韓国語で…。米軍は祖母に状況を説明しようと努めました。英語で…。それが私と米国の初めての出会いでした。