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【コラム】災難と物質:コロナ時代の日本文化断想

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.09.10 11:02
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「コロナ事態でも消えない日本の段ボール愛」「段ボールで世界的に恥をかいた日本、今回は自販機まで発売?」--。韓国のインターネット記事のタイトルだ。

内容を見ると、段ボールは安倍内閣のソウル(?)アイテムだ。2020東京オリンピック(五輪)の選手村ベッドを段ボールで作ろうとしたが、五輪が中止になるとコロナによって空港に隔離された人々を受け入れるために使っている。官公庁と事務室の仕切りとして使うことはもちろん、コロナが流行すると甚だしくは段ボールの簡易シェルターやウォーキングスルーまで登場しているという。このような段ボール愛の理由としては、安倍氏の兄が段ボール会社の社長であるためではないだろうかとさえ疑ってしまう。

記事の中には信じ難いほど滑稽なのも多く、ただ韓国人の嫌日意識が作り出したものではでないかと思われるものもある。ところで、もしこの記事が事実なら、いったいどうしてこのような段ボールを、日本人はどうしてここまで段ボールを愛するのだろうか、気にならざるをえない。コロナによって韓国でも仕切りが登場したが、材料は主に透明アクリルだ。日本人があえて段ボールの仕切りにこだわる理由は何か。ここには値段が安いとか軽いとかといった実用的な理由よりも、文化的または心理的な要因が奥底で作用しているのではないだろうか。

韓国人は韓紙を自慢するが、世界的には「和紙」と呼ばれる日本紙がよく知られている。紙は中国で発明されたが、アラブを通じて欧州に伝播し、その後は印刷革命と結合して近代化の燃料になることもした。だが、近代期の日本の紙はまた別の方式で西洋文明に影響を及ぼした。もしかしたら紙は単なる材料ではなく、欧州の大理石と同じくらい文化を象徴する物質といわなければならないだろう。

紙は何よりも江戸時代の風俗画である浮世絵や日本の扇や傘などが巻き起こしたジャポニズム(Japonisme、日本好み)と切り離すことができない材料だった。西洋人は日本人が木やわら、紙で作った家に住んでいる事実に驚いた。明るく軽く、弱々しい日本の家のイメージは西洋が重く暗い感じの石造建築の代わりに軽快な感覚と形態を持つ近代建築を創造するためのインスピレーションを提供した。

ブルーノ・タウト、ル・コルビジェ、ヴァルター・グロピウスのような近代建築の巨匠が日本を訪問して日本建築に関心を示したこともこれと無関係ではないだろう。イタリアのデザイナーであるブルーノ・ムナーリはエッセイ集『芸術としてのデザイン』の中の「日本の伝統的な家の住み方」という節で、このように書いている。「これと比べると、私たちはどれほど幸運なのか。特にイタリアでは床が大理石になっていて燃える心配がない。だからたばこを消さなくても投げ捨ててしまうこともできるし、ドアも思い切り閉めることもできるし…」

紙の東洋的なイメージがオリエンタリズムとリンクしているのはもちろんのことだ。ここには西洋=男性、東洋=女性と見るオリエンタリズムの下位構造としてのジェンダー的な文法も潜んでいる。プッチーニのオペラ『蝶々夫人』もそのような再現物の一つだ。このように紙という材料は近代日本が自身を優しくか弱い女性のイメージに位置づけるために一役買ったとみなければならない。西洋の重厚長大の美学と対照的な近代日本の軽薄短小の美学はこのように始まった。

特定の災害が必ず特定の物質と親和性があるわけではない。ただし、昨今の状況で日本と段ボールの間には、突飛に見えるが想像力を刺激する何かがある。段ボールは紙と紙の間に波状の紙を入れて強度を高めた紙で、日本の伝統紙である和紙のように優雅で柔らかい感じを与えることはない。それはむしろ日本の特撮物(スーパーヒーローや怪獣が登場する特殊効果を生かした映像物)に出てくるスーパーヒーローが身につけている鎧のようだ。

もしかしたらこれは近代期に西洋に対して優しくか弱い女性として自分のアイデンティティをポジショニングした日本が、今はそこから抜け出して強く男性的なイメージを演出するために採択した材料かもしれない。ロボットのようなマスクを着用する女性の姿からそのような印象を強く受ける。以前、日本に行ったとき、地下道の中で路上生活者が定規で測ったように整列した紙箱の中で寝ているところを見たことがある。もしかしたら今日本人はウイルスを避けるために段ボールシェルターの中に隠れたり、そうでなければ段ボールを鎧のように体に巻き付けたスーパーヒーローに変身してウイルスと一勝負しようということなのかもしれない。

チェ・ボム/デザイン評論家

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