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【コラム】韓国半導体100年の道に中国の猛追(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.11.19 10:53
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◆茨の道を50年間歩んできた韓国半導体産業

今年11月1日、サムスン電子は創立50周年を迎えた。2018年に売上高244兆ウォンを達成し、10万人の役職員が勤務するサムスン電子は、スマートフォン、大型テレビ、冷蔵庫、半導体DRAM、NAND型フラッシュメモリー、小型OLEDパネルなど12の世界トップ製品を販売し、2019年度グローバルブランド価値ランキング6位の情報通信技術企業へと成長してきた。

 
このような成果は順調に得られたわけではない。1983年に李秉チョル (イ・ビョンチョル)会長は韓国の未来は半導体産業にかかっていると確信し、サムスン電子がメモリー半導体産業に参入するという「東京宣言」をした。器興(キフン)団地で始まった64K DRAM生産がスタートだった。サムスン電子は東芝、NEC、日立などの日本企業に比べて工事期間を半分に減らし、毎年1本以上の新規DRAMラインを増設する積極的な投資で10年で日本企業に追いついた。

李健熙(イ・ゴンヒ)会長は世界トップIT製品主義を実現しようという1993年の新経営宣言「フランクフルト宣言」をはじめ、技術力を一段階アップグレードさせた。その当時、日本DRAM企業とは異なるサムスン固有のスタックメモリー素子構造の開発を通じて世界市場シェアを46%に伸ばした。国内無線電話機エニーコール焼却指示は、2011年から世界スマートフォン市場シェア1位を維持するギャラクシーの神話を生み出した。半導体成功DNAは小型OLED市場で80%以上の世界市場シェアを持つ世界1位ディスプレーパネル企業への成長につながった。さらにサムスン電子が大型テレビ市場で2006年にソニーを追い越す土台となった。

その過程には多くのヤマがあった。1997年の通貨危機で韓国ウォンが暴落すると、半導体設備、部品の需給が危機を迎えたが、積極的な投資は続いた。2007年の台湾半導体企業とのDRAM第2次チキンゲームは、リーマンブラザース破綻で始まったグローバル金融危機までが重なりDRAMを売るほど損失が出る危機状況だったが、持続的な投資を通じて克服した。2010年の台湾・日本の生産設備投資と増産宣言で始まった第3次チキンゲームでも、日本のエルピーダが米マイクロンに売却され、日本がDRAM事業から撤収する方向で帰結した。

運も伴った。2009年にアップルのスティーブ・ジョブズがiPhone3を開発してスマートフォン世界市場を開き、サムスン電子はギャラクシーを通じてスマートフォン市場の爆発的な成長の機会をつかみ、現在の世界スマートフォン販売1位になった。スマートフォンの成長はメモリー半導体市場の成長につながり、グローバルDRAM市場の46%とNAND型フラッシュメモリー市場の38%を占める世界最高のメモリー半導体企業に成長するきっかけになった。またスマホ用アプリケーションプロセッサ、写真撮影イメージセンサー(CMOS)、電力半導体など非メモリー事業も共に成長することになった。2017年にはインテルの売上高を抜いて世界トップの総合半導体企業になった。

朴在勤(パク・ジェグン)/韓国半導体ディスプレー技術学会長

【コラム】韓国半導体100年の道に中国の猛追(1)

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