【コラム】韓日、中央政府は戦っても地方自治体・民間交流は続けるべき
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.07.29 09:18
26日午後、慶北聞慶市麻城面(キョンブク・ムンギョンシ・マソンミョン)セムゴルギル44の朴烈(パク・ヨル)義士記念館。記念館左側の山の斜面の下に小さい墓が一つある。植民地朝鮮の抗日闘士・朴烈(1902~1974)の夫人、金子文子(1903~1926)の墓だ。案内文はこのように始まる。「日本人として日帝の滅亡と天皇爆殺の必然性を主張したアナーキスト(…)朴烈に出会った後、在日朝鮮人アナーキズム抗日運動に投身、独立運動を擁護して日帝の弾圧政策を批判した…」。
この日に訪れた金子の墓の前には菊の花が置かれていた。これに先立ち、23日、ここでは日本金子文子研究会の会員、朴烈記念事業会関係者など200人余りが参加した中で93周忌追悼式が開かれた。朴烈・金子研究者のセミナーもあった。金子はパクヨル義士とともに皇太子の爆弾テロを模擬したという罪で捕まり、獄中生活を強いられて1926年7月23日亡くなった。その後、夫の故郷である聞慶に安置された。金子氏の人生は映画『金子文子と朴烈』(2017)によく描かれている。
追悼式は2003年から毎年聞慶と金子氏の実家がある日本山梨県で交互に開かれている。