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【コラム】1592年と2019年、私たちは変わったのだろうか=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.07.10 10:03
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朝鮮王朝実録の宣祖修正実録には、1592年に外敵が侵入した時に朝鮮がどれくらい無防備だったかが赤裸々に記されている。外敵は20万人を徴発したが、実録には「釜山(プサン)で見張りをしていた官吏が最初に来た4百余隻を報告し、辺将が最初の報告を受けたものだけを根拠にこれを実際の数と見なした」と記されている。それで「敵の船は4百隻にも及ばないが、一隻に乗っている人員が数十人に過ぎず、その概略を計算すれば約1万人ぐらいになると報告したので、朝廷もそのように考えた」ということだ。

日本政府が今月4日、韓国に対して輸出統制という報復措置に突入した。その直後、韓国内では安倍晋三政府は今月21日の参議院選挙を行うため、この措置は選挙用で、選挙が終われば雰囲気が和らぐだろうとの期待があった。だが、今、日本は政府だけでなく、学界・外交界・一般人はそれぞれ程度の違いがありこそすれ、「韓国との関係を一度見直さなくてはならない」という考えが広まっている。400年余り前、初めは400隻余り1万人だと思っていた倭軍は蟻のように集まり、その後7年間韓半島(朝鮮半島)を焦土化した。輸出制限措置を参議院選挙用だと甘く見のは、壬辰年の「400隻報告」を繰り返す愚かな行為だ。

 
1592年、釜山沖に倭軍が予告もなく攻め込んだわけではなかった。その前年の1591年、朝鮮通信使に渡した国書を通じて豊臣秀吉は明を打つという考えを知らせた。「一超直ちに明国へ入り、吾朝の風俗を四百余州に易え、帝都の政化を億万欺年に施すは方寸の中に在り」と伝えた。明への道の途中に朝鮮があった。

日本政府は報復措置に先立ち、韓国に警告状を繰り返し送っていた。韓国に駐在する日本外交官たちは私席ではマジノ線が主要20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)以前だとし、その前に韓国政府が何かアクションを取らなければならないとも助言した。だが、私たちはとても純真だった。政府から一般の人々に至るまで「日本がやってみたところでどうせ…」と鼻でせせら笑って聞き流していなかっただろうか。


【コラム】1592年と2019年、私たちは変わったのだろうか=韓国(2)

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