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「ルノーサムスンの危機克服DNAを忘れるな」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.04.30 09:43
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「ルノーサムスン車の歴史に刻まれた『危機克服DNA』を忘れないでほしい。労働組合執行部もルノーサムスン車の家族であるはずだ」。

李基寅(イ・ギイン)前ルノーサムスン車製造本部長(副社長、60)の退任後の第一声だ。李氏は24日、釜山江西区のルノーサムスン車釜山工場付近で中央日報の単独インタビューに応じた。

 
ルノーサムスン車では労使問題が長期化している。昨年6月から10カ月間、賃金および団体交渉が妥結していない。62回(250時間)の部分ストライキがあり、2806億ウォン(約270億円、1万4320台)の損失が発生した。事態が拡散すると、使用者側は休暇制度を活用して29日から3日間、工場の稼働を中断した。

損失が雪だるま式に増える状況で、李氏は「労使交渉の突破口を開いて会社を立て直すには『衝撃療法』が必要だった」と辞任を決めた理由を明らかにした。引退を決心した12日、李氏はいつものようにグレーの作業服を着て午前7時30分から釜山工場を視察した。車体工場の休憩室で筆ペンを握り、A4用紙を取り出して「釜山工場を離れて…」と題した手紙を書き始めた。労使紛糾が釜山工場の雇用に致命的になっているという内容だった。

李氏はサムスングループが何もない土地に自動車工場の青写真を描く時からルノーグループが工場を買収するまで16年間の興亡盛衰を今まで現職で眺めてきた唯一の人物だ。李氏は「▼サムスンの品質重視▼日産の技術力▼ルノーの合理性とプライドがルノーサムスンのDNAに刻まれている」とし「ルノーサムスン車労働組合執行部が我々のDNAを再確認してこそ釜山工場は過去の栄光を取り戻すことができる」と強調した。

ルノーサムスン車は最初から論議を呼んだ。1992年にサムスングループは自動車事業への進出を準備した。当時サムスン重工業で自動車事業を推進してきた秘密組織が自動車専門家をスカウトしたが、2人のうち1人が起亜車にいた李基寅氏だ。「10兆ウォンの20世紀最大新事業プロジェクトに参加しよう」と提案したという。

当時、国内外の世論はサムスングループの自動車産業進出に否定的だった。しかし李氏は「サムスン自動車は品質で批判を乗り越えた」と語った。李氏がまだ保管している「PS建設計画」報告書には、サムスン自動車設立基本方向として「品質を基本に非効率を徹底的に排除することが基本思想…すべての従業員は品質を確保することを最優先に考える」と書かれている。PS建設計画とは、サムスングループが1994年9月に作成した自動車工場設立計画だ。

最近ルノーサムスン車は危機に直面している。このような状況で李氏が過去の話をしたのは、現在の危機を克服できる方法も品質だと考えているからだ。李氏は「フランス本社は韓国の釜山、日本の九州、米国のスミルナ工場でそれぞれ生産した同じ車(日産ローグ)を比較する。この時、不良件数など各種品質データが工場別に出てくる。結局、他の工場より品質競争力が優れてこそローグの後続量が配分される」と強調した。

労働組合執行部は「事実上、本社の物量配分は終わった」と主張している。九州工場でローグ後続モデルを生産することが内定したとみている。間違った話ではない。日産車九州工場は役職員の月給を20%削減し、高級ブランドのインフィニティと電気自動車を生産する追浜工場と中小型車両を製造する栃木工場もそれぞれ2つの生産ラインの1つを停止した。日本で生産する物量も不足しているの中で韓国に物量を回さないという推測だ。


「ルノーサムスンの危機克服DNAを忘れるな」(2)

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    中央日報のインタビューに応じた李基寅(イ・ギイン)ルノーサムスン車製造本部長は辞任後、気持ちが楽になったのか笑顔を見せた。
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