【コラム】今日だけを生きるのか=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.03.27 16:41
一時、耳にたこができるほど聞いた言葉の一つが「捜査権調整」だ。警察や検察を取材する時はほぼ毎日のように耳にしたり口にしたりしていた。国民の多数が必要だと感じていたことだった。映画の中の検事は腐敗もしくは無能、あるいは両方である場合がほとんどだが、私たちは現実でもそのような検察の姿を非常に長い間、頻繁に見てきた。
しかし、最近は微妙な態度変化が感じられる。世論が静かになったうえに、バーニング・サン事態などで警察の信頼が崩れたのが理由のようだ。だが、捜査権調整はこのように揺れるほど簡単で浅い問題ではない。検察がしっかりと牽制(けんせい)を受けないまま犯した不正は私たちが抱えていた病弊だった。他の病気になったからといって、腐ったところを放置するのは正しい治療ではない。警察の不正が検察の品格を高めることもない。バーニング・サン事態が捜査権調整にまで影響を与える可能性があるという見通しが出ていて心配になる。