【コラム】混迷した時代について=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.03.20 15:16
粒子状物質濃度が「普通」だったので自転車に乗って漢江(ハンガン)に出かけた。半月前のようにここが現世の風景なのか冥土の風景なのか見分けがつかない程ではなかったが、空は依然として澄んではおらずうっすらと濁っていた。「のどかな春の日」という言葉はこのようにして思い出の中に消えるのか、などと考えながら自転車専用道路を走った。速度を上げても調子は上がらず、自分が暮らしている都市のどんよりと陰気な姿にかえってため息が出る。
最近、新聞を見ると同じような気分になる。何か一つでも晴れ晴れとした気分になるような記事はあるか、ということだ。あ、もちろんメディアは悪いニュースが好きで、人々は自分こそが乱世の中の乱世を生きていると信じている。だとしても、韓半島(朝鮮半島)で旧韓末を生きた人々は自分たちの時代が特に良くない時代であり、すべての状況がこれまで見たこともないような破局に、悪い方向に向かっているという感覚を感じなかったのだろうか。
統計の指標だけを見てみると、最悪という状況では明確になく、ゆっくりと社会が発展しているという証拠もあれこれ集めることができる。にもかかわらず、より深いところで何かが離れがたく絡まり、私たちは道に迷っているという感覚に、私だけでなく多くの人々がとらわれたようだ。時代の変化についていけない中年の嘆きならよいが、若者世代も同じように混乱と無力感を吐露する。