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「韓国『愛国歌』作曲家、日帝とナチスドイツのラッパ吹きだった」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.01.16 14:55
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作曲家の安益泰(写真=中央フォト)
『愛国歌』を手がけた韓国作曲家の安益泰(アン・イクテ、1906~1965)の親日行動に問題を提起してきた政治学者の李海榮(イ・ヘヨン)韓神(ハンシン)大学教授が安益泰の欧州活動を分析した新刊『安益泰ケース』を出した。

平壌(ピョンヤン)で生まれた安益泰は1921年に日本に留学した後、米国で音楽の勉強をし、1938年ごろ欧州に進出した当代では珍しい西洋音楽家だった。

在米韓人団体が発行した新聞「新韓民報」によると、安益泰は1935年12月28日、韓人礼拝堂で愛国歌の新しいメロディを演奏した。安益泰は愛国歌のメロディを『韓国幻想曲』第4楽章に使っている。

安益泰は文化勲章・大統領賞を授けられて国立墓地に埋葬されたが、2000年代以降、各種資料を通じて日帝に賦役したという事実が明らかになり民族問題研究所が編纂した「親日人名辞典」に収録された。

2015年安益泰が1941年、日本の名節に天皇の時代が永続することを願う曲『君が代』をピアノ演奏したという内容の寄稿文を捜し出した著者は、新刊でこの内容を書いた江原綱一(1896~1969)に注目している。

江原綱一は東京帝大を卒業後、1932年の満州国建国以降にハルビン副市長を務めた後、1938年在ベルリン満州国公使館参事官として赴任して1945年7月までドイツに滞在していた。

著者はドイツの韓国学者フランク・ホフマンが発掘した米陸軍欧州司令部情報局文書を通じて江原の実体を説明している。

米陸軍がドイツと日本の前職情報将校の陳述を記録した該当の文書は「江原は在独日本情報機関の総責任者だった。江原は在ポーランド情報機関と共同作戦を遂行した」と明示した。

参事官という職位は江原の偽装用肩書であり、実際には彼が日本情報機関のドイツ総責任者だったというのが著者の考えだ。

問題は著者が「エキタイ・アン」としている安益泰が江原の家に同居していたという点だ。江原は「安君が私に相談があるといって訪ねてきた」とし「独ソ戦争が始まった年からベルリンで彼と一緒に暮らすことになった」と回顧した。

著者は「安益泰は江原の特殊工作員や彼の重要な別の何かか、でなければそのどちらともだったかもしれない」というホフマンの主張を引用した後、「エキタイ・アンが江原の家で早ければ1941年末から1944年4月初めまでほぼ2年半近く寄宿していたという事実は安益泰が江原の『スペシャルエージェント』であるという強い心証」と力説する。

続いて1944年にドイツが占領した状態だったフランスで公演した安益泰が第2次世界大戦以降はフランス、ドイツ、オーストリアに登場しなかったという点を根拠に「エキタイ・アンは大日本帝国とナチスドイツの高級ラッパ吹きだった」と強調する。

あわせて「エキタイ・アンが高級プロパガンディストとして用役を提供したのは明らかで、その対価として依然としてその全貌が明らかになっていない数多くの便益を手にしていたという点を否定することができない」と批判する。

安益泰が親日というだけでなく、ナチスドイツのためにも活動したという衝撃的な主張をしている著者は、今や愛国歌に対して再考する時が来たと言う。

著者は「安益泰の愛国歌の致命的欠陥は、その旋律や歌詞ではなくそれを作った人にある」とし「愛国歌を作った者は少なくとも『愛国的』でなければならない」と指摘する。

著者は、現在『愛国歌』は事実上の国歌というだけで、法で定められた国歌ではないという点を説明しながら「国歌制定委員会を構成して公募型国歌を作ろう」と提案している。

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