風雲児坂本龍馬の墓、「京都の靖国」に変わる(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.07.04 10:19
最近訪れた日本の昔の都の京都には150年前の明治維新の痕跡があちこちに残されていた。明治維新は日本の近現代史と富国強兵の始まりだ。1603~1867年の264年間日本を支配した徳川幕府が倒れ、幅広い改革を通じて天皇中心の中央統一権力が新たに成立した。江戸幕府は領主である大名が地方をさまざまな藩として治める封建制、士農工商の身分制、オランダとの制限的貿易を除いた鎖国が特徴だった。1853年に米国のペリー艦隊が江戸湾に進入した後、幕府が無気力に不平等条約を結んで開港するとあちこちで不満が爆発したのが契機だ。多様な議論と対立を経た末に経済力と軍事力を持つ雄藩の薩摩(現鹿児島県)と長州(現山口県)が1866年に連合して幕府に決定打を与えた。
薩長同盟と呼ばれるこの連合を斡旋した人物が「維新風雲児」と呼ばれる坂本龍馬(1836~1867)だ。彼は同じ土佐藩出身の中岡慎太郎(1838~1867)とともにこれを成功させたが、翌年に2人とも何者かに暗殺された。この2人の墓は故郷ではなく意外にも京都にあった。京都東部の霊山護国神社で彼らの墓を探した。2人並んで埋められた墓は素朴で、墓碑は歳月で色あせている。墓を眺めていると女子中学生3人が来て参拝した。司馬遼太郎の人気小説『竜馬がゆく』と、2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』など多くのドラマで封建制度を打破し万人が平等な世の中を夢見た青年として描写された龍馬の墓なのでそれだけのことはある。