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【噴水台】半跏思惟像が投げかける言葉=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.05.26 17:24
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「思惟は内面の苦痛を癒し、悟りに達する方法」というキャッチコピーが観客を迎える。24日にソウル国立中央博物館で開幕した「韓日の国宝、半跏思惟像の出会い」展だ。10メートルの距離を置いて韓国の国宝第78号「金銅半跏思惟像」と日本の国宝「中宮寺木造半跏思惟像」が向かい合っている。薄暗い展示場の中、控えめな照明だけが2つの作品を照らしている。二つの目を柔らかく閉じた仏像の微笑に心が安らかになる。騒々しい日常から解放されるようだ。

半跏思惟像--。その言葉の通り、片方の足をもう片方の足の膝の上に載せて指を頬にそっと当てたまま考えに浸っている。ロダンの傑作『考える人』の先輩格だ。二つの作品ともに両国仏教彫刻の極みを見せている。古代韓日文化交流を象徴する「国家代表」文化財だ。昨年の韓日修交50周年を記念する席だ。

二つの仏像は菩薩像だ。菩薩は悟りを得ようと、すなわち仏になろうと修行している衆生をいう。男女の境界を越える。仏像自体も男性なのか、女性なのか識別し難い。澗松(カンソン)美術館の崔完秀(チェ・ワンス)韓国民族美術研究所長は「インドのガンダーラ美術で菩薩像は男性だった。ひげが生えて筋肉も発達していた。仏教が中国に渡って来て陰陽思想と出会い、仏は男性で、菩薩は中性的に表現され、その様式が韓国で完成された。半跏像は少女像に近い」と説明した。

寺で菩薩は俗に女性仏教信者を示す。男性は「居士」「処士」と呼ばれる。菩薩がなぜ女性を意味するようになったのだろうか。定説はないが我々の歴史と関連がある。曹渓宗(チョゲチョン)布教研究室長のウォンチョル僧侶は「新羅・高麗時代、菩薩は男女を包括する概念だった。崇儒抑仏策が施行された朝鮮時代に、主に女性たちが寺を訪ねた理由から範囲が狭まったようだ」とした。母のように包み込む菩薩の慈悲心が際立つ半面、男女の役割が固まったという点で残念な部分も残る。

半跏思惟像を見ながらかえって心が痛んだ。最近、我々を極限まで苦痛に陥れた女性嫌悪問題が重なった。男と女が敵同士のように争う状況、その原因を提供した男たちの根本的な思惟が求められる。省察のない行動は暴力につながりうる。1400年余り前の二つの仏像が今、我々に投げかけている言葉だ。悟りは大層なものではない。相手を受け入れる姿勢だ。チョー・ヨンピルの『女と男』の歌詞が思い浮かぶ。「あなたがいるから私がいて/私がいるからあなたがいる」。二つの仏像は未来を掌握する弥勒仏、未来は遠くではなく、あなたのすぐ近くにある。

パク・ジョンホ論説委員

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