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【寄稿】ある歴史文学家の美しい臨終=韓国(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2016.04.25 16:58
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4・19革命(四月革命)56周年となった19日、その歴史的な日に歴史的な人物が亡くなった。草堂・辛奉承(シン・ボンスン)先生、83歳の一期だ。先生は「国民史劇作家」と呼ばれる劇作家で、詩・小説・評論・シナリオなど130余の著述を残した広幅の文人だった。その中でも多くの人たちが記憶する作品は8年間続いたテレビドラマ『朝鮮王朝500年』だ。全11シーズンで構成されたこの大河史劇の第1話は、李成桂(イ・ソンゲ)の継妃・神徳王后康氏の視点で朝鮮王朝の開国を眺める内容だった。甥の王位を簒奪した世祖の時代になると、それまで奸臣の標本とされていた韓明フェ(ハン・ミョンフェ)を中心人物として前に出す。彼の筆先で韓明フェは万古逆賊という汚名をそそいで時代の経略家として生まれ変わる。最後の話「大院君」になると、興宣君李ハ応(イ・ハウン)の人間的な姿と鎖国政策に対する再解釈が提起される。大院君個人の政治的な性向を圧倒した時代の使命が、大院君を呼んで鎖国を断行させたということだ。

歴史に対する新しい視点、すでに長い歳月が流れてその性格が確定した歴史に対する観点の「反乱」は、作為的な意志だけでできるものではない。長期にわたる史料の検討と研究、そして歴史観に対する自己確信なしには難しいことだ。ところが先生はこの困苦な歴史学習の過程を超人的な忍耐と勤勉で乗り越えた。先生は「在野の歴史学者」だ。『朝鮮王朝実録』が国文に翻訳される前、9年にわたり通読し、その500年の歴史を洞察的に貫通する目を養った。

 
いくつかの文で確認される先生の文学観は自身の歴史観と綿密に結びついている。先生は歴史という写実的な骨格に文学という想像力の装いをしたのが歴史文学という明快な論理を持った。装いの美しさも重要だが、骨格を事実と違う形に設定すれば価値がないという意味だ。その論理で先生は春園・李光洙(イ・グァンス)と月灘・朴鐘和(パク・ジョンファ)の歴史小説、歴史的事実性の考証を違反した作品を辛らつに批判した。同時に今日のテレビ史劇が頻繁に、またひどくこの事実と想像力の均衡を損なわせ、それに対する省察を遠ざけているといって嘆いた。

先生が見る現実政治もそれと同じだった。資格が足りない人たちが政治の一線に立っているため、国がこのように無秩序だということだが、先生の例えによると、朝鮮時代には退渓李滉(イ・ファン)、栗谷・李珥(イ・イ)、静庵・趙光祖(チョ・グァンジョ)のようなソンビ(学問を修める人、礼儀正しく慈しみのある人)政治の模範があったということだ。600年の我々の近代史を見通す識見なしには容易に言えないことだ。まさにこの識見で先生は2012年に非常に奇抜で意味のある著書を出した。『世宗、大韓民国の大統領になる』だ。 

朝鮮朝500年に明滅した歴史人物の中から、その品性と力量から見て現在の韓国政府を構成する「ドリームチーム」を選抜したのだ。例えば大統領に世宗大王、首相に李元翼(イ・ウォンイク)、企画財政部長官に李滉、法務部長官に崔益鉉(チェ・イクヒョン)、行政自治部長官に李珥、文化体育観光部長官に朴趾源 (パク・ジウォン)、知識経済部長官に丁若鏞(チョン・ヤクヨン)、検察総長に趙光祖、監査院長にチョ植(チョ・シク)などの人材の選抜だ。我々の近代史の流れとその経路によって浮沈がある人物に対する確固たる評価、また、それに基づく論証に自信がなければ不可能な文だ。(中央SUNDAY第746号)


【寄稿】ある歴史文学家の美しい臨終=韓国(2)

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