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【噴水台】20代から手を離そう=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.22 13:20
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ある名門私立大学の教授から聞いた話だ。工科大のある教授研究室の前で、学生と母親が一緒にひざまずいていたという。何か大きな間違いでも犯したのかと思ってその教授にこっそち一部始終を尋ねていた。答えは予想を大きく逸脱しなかった。「医学専門大学院の進学に問題があるので、成績を直してほしい」と訪ねてきた母親の要求を断るやいなや、母親が息子と共に突然にひざまずいたというのだ。膝まで折るというのはちょっと度が過ぎるが、成績を直してほしいと訪ねてくる「ヘリコプターママ」や「ヘリコプターダディー」はかなり多いとほかの教授たちも口をそろえる。

この事情を伝えてくれた教授は「よっぽどでなければ」としながら母親が気の毒だといった。私は、その学生が、いや「母親主導学習」で大きくなった少なくない大学生がかわいそうだった。人生の進路を分けるかもしれない重要な授業の成績管理を、なぜ前もってまともにやらなかったのかは知るすべがない。しかし20代をはるかに超えた年齢の子供の大学の成績表を見て、すぐさま学校に駆けつけて教授の前にひざまずく母親だなんて。子供の心配をする親の気持ちが理解できないわけではない。だが堂々とした成人である20代の子供を、まるでご飯まで食べさせるような両親たちの過保護によって、むしろ自分の子供が当然享受すべき機会を奪い取っていることが分からないのだろうか。20代の年齢で自らすべき最低限の経験さえこのようにして剥奪すれば、社会に出て行ってしっかりした正しい役割を期待できないから出てくる言葉だ。

 
もともと20代がこのように保護されるべき未熟な年齢なのかと思い、しばらく考えてみた。それは違っているようだ。1968年建築家キム・スグン(1931~86)のもとでソウル汝矣島(ヨイド)開発を主導したチームの平均年齢は27歳だった。チームの一員だった建築家キム・ソクチョルは当時25歳に過ぎなかった。もちろん当時は戦後の急激な産業化が進められた時期と、その時代が必要とする知識や技術を持っている上の世代が珍しく、そのおかげで若い層に機会がたくさん回ってきた。皆、天才の声を聞いた人材でもあった。

だが必ずしも天才でなくても、家でも外でも20代を大人として扱い20代はその時代と年齢にふさわしく与えられた仕事を立派にやり遂げた。そうやって積み重ねた経験で年を取って、より大きい仕事をすることもできた。

ところでこの頃の20代はそのような機会を持てないまま年を取っていく。就職難だ何だといって社会から機会を得られないのはまた別の話だ。家から、今からでも20代が自らの役割を果たせるように親たちが手を離すことが優先ではないか。

アン・ヘリ ニューデジタル室長

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