【時視各角】サムスンのスマートフォン、5年後にも出るのか(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.09 10:56
毎日のように新たな危機が登場する。四面楚歌だ。しかし危機は機会のもう一つの顔でもあった。売るものがなく女性の髪の毛や小便まで輸出した国。あまりにも貧しかった韓国が重化学工業国に換骨奪胎したのは、2度のオイルショックが襲った1970年代だった。72年に蔚山(ウルサン)石油化学団地、73年に浦項(ポハン)製鉄、74年には世界最大だった現代造船所(現代重工業)がオープンした。現代自動車がポニーを量産し始めたのは76年だ。李健熙(イ・ゴンヒ)東洋放送(TBC)取締役は74年、私財を出して倒産直前だった韓国半導体を買収した。50、60年代に急速成長したドイツと日本がオイルショックに驚いて委縮し、韓国に突破口が開かれた。
80年代、韓国は危機を迎えた。重化学工業への過剰投資のためだった。ところが人為的に円高に導いた85年の「プラザ合意」が助けた。貿易・財政の双子の赤字で窮地に追い込まれた米国が貿易黒字国の日本・ドイツの腕をねじった。日本・ドイツの輸出品価格が高騰し、韓国が漁夫の利を得た。原油価格と金利まで落ちたのは天佑神助だった。運も良かったが、70年代の果敢な重化学工業投資と80年代の先制的な構造改革がなかったとすれば、3低(低油価・低金利・低ドル)好況」は絵に描いた餅だったかもしれない。