<外交が力だ>(2)臨時政府の抗日外交…総督府、臨時政府に危機感
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.13 13:30
日帝は臨時政府の外交活動に神経を尖らせていた。当時を記録した文書を見れば日帝が臨時政府の外交活動を「目の敵」にしていた事実が所々にあらわれる。1921年1月2日朝鮮総督府警務局長が日本の外務省外務次官に送った文書。
「いわゆる対韓臨時政府法務総長であり首相である申圭植(シン・ギュシク)は不逞(ふてい)の輩である朝鮮人10人余りと広東に到着し、中国南方政府の歓迎を受けた。不逞の輩である朝鮮人が過激な行動をしない限り、取り締まりを断行しにくく(中略)」。臨時政府の人々の一挙手一投足を監視していたことが分かる。