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【時視各角】国家情報院「玄永哲の粛清は99%事実」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.05.19 11:58
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米国にピューリッツァー賞があるならば、韓国には「韓国記者賞」がある。最初は1967年にTBCキム・ジプ記者の「スパイのイ・スクン板門店(パンムンジョム)脱出事件」がテープを切った。前日、二日酔いで板門店のトイレで眠りこけていた彼は、ほかの記者たちがバスで帰京したことも分からなかった。無差別銃声に起きてみると北朝鮮の警備兵の射撃をかいくぐって北朝鮮中央通信のイ・スクン副社長が韓国に越境してきた。ほかの報道機関はキム・ジプが現場で生中継するのを、気を落としながら見守った。その後もパク・ジョンチョル拷問致死事件(87年)など大きな特ダネがこの賞をもらった。

95年からは「韓国記者賞大賞」が新設された。毎年与えるのではなく世界を驚かせた特ダネだけに与える。トウ小平の死去(97年)、金正日(キム・ジョンイル)・江沢民極秘北京会談(2000年)、国家情報院大統領選挙世論工作(2013年)などが栄誉に授かった。その中で最もいわくつきは何と9年ぶりに大賞をとった2010年聯合ニュースの「北朝鮮、金正日の後継者3男金正恩(キム・ジョンウン)」だった。主人公のチェ・ソンヨン記者は96年北朝鮮3等書記官の夫ヒョン・ソンイル氏とともにザンビアに亡命した元脱北者。2009年1月に送稿されたこの記事は2年余りの間「確認不可能」を理由に受賞が保留されるという紆余曲折を経た。

 
国家情報院にとってこの特ダネ報道は黒い歴史だ。骨身にしみるほどの失敗をした。よっぽどでなければ国家情報院がチェ記者の対北朝鮮関連容疑まで疑っただろうか。2009年には脱北者のインターネットメディアが北朝鮮の貨幣改革を最初に公開した。さんざん恥をかいてきた国家情報院は素早く変身した。北朝鮮の「諜報」を大統領に報告した後に「情報」レベルになれば急いで公開した。2013年の張成沢(チャン・ソンテク)粛清が代表的な事例だ。国家情報院は、彼の側近が処刑されて身辺の異常が感知されるや12月3日、急いで携帯電話で「失脚の兆候濃厚」として国会情報委に報告した。北朝鮮は実際9日後に張成沢を処刑した。


【時視各角】国家情報院「玄永哲の粛清は99%事実」(2)

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