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<MB回顧録>北、天安・延坪島事件後も代価要求し首脳会談を打診(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.01.29 16:02
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11月14日、開城で再び開かれる統一部-統一戦線部の接触を前に、金星煥(キム・ソンファン)外交安保首席が報告した。「北朝鮮がシンガポールで合意したが、なぜ内容が違うのかと言ったそうです。任太熙長官に回答をくれという形で話したそうです」。私は金首席に話した。「北朝鮮が勘違いしていますよ。北朝鮮から先に首脳会談を要求したことなのに、雰囲気造成のために支援をしてくれというのは話にならないと言わざるをえません」。しかし14日に開城で再び開かれた統一部-統一戦線部交渉は、北朝鮮がシンガポール合意書というものを主張し続けて決裂した。

◆延坪島(ヨンピョンド)砲撃時、北朝鮮が表敬訪問=北朝鮮は2010年6月、国家安全保衛部の高官級要人の名義でメッセージを送った。国家情報院の高官級要人と接触したいという要求だった。接触した北側の要人は、保衛部でも実力者だった。2010年7月、国家情報院の高官級要人(キム・スク第1次長と推定)が北朝鮮を訪問した。当時韓国は韓国哨戒艦「天安」爆沈に対する北朝鮮の謝罪と再発防止のための措置が先行すべきだという点を明確にした。韓国側が「天安」爆沈に対する謝罪と再発防止を要求すると、すぐに北側はコメ50万トンの支援を要求した。北朝鮮で「天安」爆沈の謝罪問題が議論されている間、2010年11月に北朝鮮は再び延坪島砲撃を敢行した。

 
2010年12月5日、北側保衛部の高官要人〔柳敬(リュ・ギョン)副部長〕は秘密裏にソウル入りした。大佐1人、少佐1人と通信員2人が同行した。当時、北側要人はソウルにきて私に会うことを期待していたようだ。北側要人は「将軍様のメッセージを持ってきたが、李大統領がなぜ私たちに会わないのか」と激しく抗議したという。しかし確認したところ彼らが金正日の書簡を持ってきたわけではなかったし、私は彼らに特に会わなかった。北側要人は予定よりもさらに1日ウルに滞在した後、戻っていった。2011年初めに米国と中国から驚くべき話を聞いた。私たちと接触した北側要人が公開処刑されたということだ。その後、彼の処刑に関連して「韓国に機密を漏洩した」とか「ソウルに行って李明博大統領の面談を要請して失敗したが直ちに平壌に戻らずさらに1日滞在し、これによって金正日総書記がかなり憤慨した」という報告があった。


<MB回顧録>北、天安・延坪島事件後も代価要求し首脳会談を打診(1)

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