【時論】今の韓国料理では文化大国を夢見ることはできない(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.09.11 10:02
1964年の東京オリンピックを機に寿司を自国文化の代表ランナーとして前面に出した日本の例を見てみよう。わずか50年もしない内に、生ものを食べる野蛮な国という汚名を、生ものを食べる最高の「先進文化国」に転換させた「文化神話」の先例を作り出した。そして数百円から数十万円以上の垂直的に多様な価値の食文化を育成している。それに比べて私たちは、ひたすら庶民的な食べものだけを自分たちのものであるかのように見なす不均衡な論理に慣らされてきた。このように庶民的な食文化だけに偏向しているのは、経済的論理とも合致しないものだ。韓国の食市場の相当数が価格競争によって低賃金と低価格の食材料、低価格の要素でその中身を満たすほかはない。このような低価格型の文化融合だけでは1つの国の文化的隆盛と内需経済の活性化を夢見ることはできないだろう。もちろん庶民的なものが悪いという指摘ではない。それはそれなりの価値があるが、庶民的であることを伝家の宝刀のように振り回すべきではないという意味だ。結論的に日本は垂直的に多様な価値の食文化を開発・育成する一方、韓国は価格中心の庶民的・水平的価値に固執している。これがまさに両国の文化水準の差を作り出し、韓国の内需経済の発展に足かせをはめる結果を招いている。
伝統文化という時代と環境によって革新され、その革新を通じて「新しい伝統」として新たに乗り出さなければならない。それでこそ1つの国の文化に栄養を与えて成熟させる核心的な役割を主導することになる。ところで私たちは伝統を単に昔のことだと理解したあげく、現代的に再解釈された伝統的な文化商品を決して「伝統」とは認めていない。恐らくこれは韓国の伝統文化を断絶・抹殺した日帝の策略的陰謀が招いた民族精神の消滅によってできたみじめな結果だと思う。このような副作用を正常化するためには、朝鮮時代の「先公後私」の高尚清廉な精神を見習って目覚めているエリートたちの精神革命と国民的自覚が必要だ。