【コラム】早く訪れた韓国の名節・秋夕、なぜこれほど空しいのか(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.09.10 14:36
早くに訪れた秋夕(チュソク、中秋)の連休を終え、市民が次々と日常に戻っている。振替休日として一日さらに休む官公庁と金融機関もあるが、今日から業務を再開する職場が多い。秋夕連休を過ごしたが、何か物足りない感じだ。今年の秋夕が節気を追い抜いて早く訪れたからでもあるだろう。豊かな収穫の季節を象徴する秋夕を実感するには9月上旬はやはり早いようだ。穀物はまだ実らず、クリ・ナツメももう少し待たなければならない。古米で作った松餅(ソンピョン)とまだ熟していない果物を祭壇にのせようとすれば、秋夕の気分にはならず、先祖にも申し訳ない。
それだけではない。故郷から戻る人たちが感じる空しさの底には、未来に対する不安感があるのではないだろうか。贈り物を持って帰省できた人たちは早い秋夕でもまだよかっただろう。しかしまだ就職できなかったり、事情が厳しく手ぶらで帰省する気がなれなかった多くの人たちは、節気に関係なくこの秋夕にも雰囲気を感じにくかったはずだ。ひょっとすると秋夕のようでない秋夕がむしろ幸いだったのかもしれない。
秋夕直前に発表された韓国銀行(韓銀)の国民所得統計は、国民が秋夕に感じた空しさの実体は低迷する景気と景気回復に対する疑問なのかもしれないという憂うつな証拠を見せている。今年4-6月期(前期比)の実質経済成長率は0.5%と、1年9カ月ぶりの最低水準だった。さらに名目国内総生産(GDP)増加率(経常成長率)がマイナス(-0.4%)に転じたという。4-6月期に国内で生産された総付加価値の現在価格が1-3月期より減少したのだ。物量では0.5%増えたが金額では0.4%減ったというのは、頑張ってモノをより多く作って売ったが、手に入ったお金はより少なかったということだ。より多く輸出してもウォン高のため換算した輸出代金が減り、国内でも低物価のため販売量の増加ほど売上高が増えなかったからだ。国内外を問わず企業の採算性が悪化していることだ。