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【コラム】英雄・李舜臣と共にした一週間=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.07.30 16:14
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韓国史には多くの英雄がいる。代表的な人物に私は李舜臣(イ・スンシン)、李承晩(イ・スンマン)、朴正熙(パク・ジョンヒ)を挙げる。3人は誰よりもドラマチック(dramatic)であるからだ。3人は、業績が大きい分、試練は大きく、逆境が激しい分、成就が大きかった。3人のうち李承晩と朴正熙に対しては、私は常に近くにいた。さまざまな資料があるが、特に言論人・安秉勲(アン・ビョンフン)が編纂した写真集2冊がある。心細く憂鬱な時、私は写真集を見る。すると2人の声が聞こえる。

ところが李舜臣には近づいていなかった。乱中日記に接したものの適当に目を通しただけで、牙山の顕忠祠(ヒョンチュンサ)に行った記憶も薄れている。国を救った英雄に対してこれでよいのか、私は罪悪感を抱いていた。先週、こうした心境から少し抜け出すことができた。映画『鳴梁』の試写会に行き、乱中日記にはまったのだ。いくつかの訳本のうち、私は1998年に出た『李舜臣の日記』を選択した。執筆者が特異だったからだ。パク・ヘイルをはじめとする4人がともにソウル大出身の核物理学者だ。

 
李舜臣が生きた世の中は混乱していた。不正腐敗が広がり、嘘と謀略が激しく、防備は不十分で、国は大きく揺れた。しかし李舜臣は動じなかった。謀略で3度も罷免され、監獄にも行ったが、彼は倒れなかった。何よりも驚かされるのは、彼が非常に現実的な人物だったという点だ。漢陽の高官が机上の空論をする時、彼は現場を回って防備を整えた。亀甲船を作って兵士を訓練した。自身は総帥と弓を射た。倭軍侵略の2カ月前の日記だ。「朝、いくつかの防備と戦船を点検してみると、すべて新しく作り、武器もある程度完備していた」。倭乱から半月後、彼は総帥を集めた。彼はこのように書いた。「全員が憤激し、自分の一身を忘れるのが、まさに義士といえる」。

李舜臣は断固としていて厳格だった。慨嘆で終わらず、刀を抜いて行動した。日記には棒で殴り、首を切る場面がよく登場する。「軍官と属吏が軍用船を修繕しなかったため棒で殴った」「属吏11人を処罰した。いつも嘘をついてきたので、この日は首を切って梟首した」

戦線の李舜臣は重圧に苦しんだ。国を救わなければという心配と勝利に対する懇求…凄惨さが夢に現れ、病気にもなった。「夢で倭敵が降伏しながら六穴銃筒5丁を渡した」「夢で、あるところにたどり着き、領議政(柳成龍)と話をした。しばらく胸襟を開いてお互い国を心配する考えを語っていたが、最後には胸が詰まってやめた」「終日、横になって唸った。汗が常に流れ、服がぬれた」。


【コラム】英雄・李舜臣と共にした一週間=韓国(2)

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