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【時視各角】「国家改造」、その悲壮さについて=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.25 09:57
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金泳三(キム・ヨンサム)政権の1993年にも国家改造論が突如として登場した。建国以来、最大の災難が韓国を襲った年だ。航空機の墜落と列車の脱線、旅客船の沈没で数千人の死傷者が発生した。すると与党の実力者の口から「建国する気持ちで国を改造しよう」という主張が出てきた。それからは災難対応システムを一新して、目を引くような対策を次々と繰り出した。私たちはその結果がどうなったか、ちゃんと知っている。政権の責任をまぬがれるための臨機応変の策に過ぎなかった。

2014年に出現した国家改造論の意味と未来はどうだろうか。やはり危機脱出用の“魔術マント”なのか。検察のひどいやり方に犠牲者が出て、ワールドカップ(W杯)サッカーが始まるころになれば消える集団痴呆性スローガンなのか。国家システムをまるごと直していくという執権勢力の宣言に対して国民の立場から反対する理由はない。その真意が疑われるとしてもひとまず見守ることだ。ただし国家改造どころか災難システム改造もできずに終わった時、その苦々しい記憶はまた歴史の中に長く残るだろう。

 
安先生は誰が、何を、どのように改造しなければならないのか明確に提示した。指導層のリーダーシップだけでなく国民意識、社会システム、国土環境皆すべてが改造対象だと考えた。推進主体も他人ではなく、“自分自身”であることを強調した。安先生はまた、漠然としたスローガンではなく、教育・訓練・行動を通じて具体的に実践してこそ改造が可能だと感じていた。

朴槿恵(パク・クネ)政府は自問しなければならない。「国家改造」意味に見合う悲壮さを持ち合わせているのかどうか。そのような覚悟と実力はあるのか。幸いにもそれがあるというのなら、国家改造には野党や市民社会勢力と手を取り合って取り組まなくてはならない。内閣総辞職程度ではなく、官僚マフィアを破った後に後れた社会システムはもちろんそのような国民意識とも戦わなくてはならない。他の分野を圧迫する前に、自分自身を変えなければならない。96年前の安先生の民族改造論は行く道を示してくれている。

イ・ギュヨン論説委員


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