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「100年前、韓国人は明晰で堂々としていたとの外国人の記録多く」(3)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.13 16:54
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‐‐私たちの精神的価値というのは、どんなものがあるだろうか。

ユ氏=私たちが知らずにいたり無視していたりした私たちの肯定的な姿を、この本が喚起させた。それを参考にして私たちがどのように暮らしたいのか、再び質問を投げかけて答弁をする過程で私たちの姿を見出していけるはずだ。

 
‐-100年前の韓国人の長所に「ハンサムだった」とか「自然(naturalness)」といったようなことが議論されている。日本人についての勤勉・倹約・礼儀などの表現に比べて韓国人についての描写がとても漠然としていないか。

イ氏=韓国に対する記録を残した人は、たいてい日本や中国もみな経験した人だ。比較が可能になる。日本人と比較した時、韓国人から明確な差を発見したのではないだろうか。例えば日本人の礼儀が誇張されたと見ることだ。ぺこぺこしていたり卑屈だったりしたということにもつながる。韓半島に来てみると日本人の姿と違っていたのだ。近代化もできず、よく暮らせていなかったはずなのに、文明人を見てもどこか余裕があり自然体だと感じたのだ。別の見方をすれば堂々とさえしていた。韓国人が自然だというのは私もよく分からなかった。米国に数十年間住んだ僑胞(海外在住韓国人)が共感を示したことがある。韓国僑胞が他の東洋人と違った点で自然だということを挙げているという。自身を隠さずありのままを見せるということだった。

‐‐また古代から続いてきた善良さと強靭さということを例に挙げて「優しい強靭さ」を韓国人の精神的特性といったが、この表現もちょっと漠然としているようだ。

イ氏=韓国人がなまけるという記録もあるが、また別の記録では仕事をさせてみると日本人より早く習得したり、日本人より信頼できるという記録がある。また韓国人はこわがって自分を守るとは思わないという話もある。また別の記録では軍事力が優れた外国を素手ではねのけた人々が、怖がっていたといえるのかとも指摘している。韓国人は戦うほどの理由がなければ戦わないのに、抑圧が近づけば立ち上がるといった。このような話は1、2人から出てくるのではない。古代の記録にも似たような話が伝わっている。韓半島の人々は強くて勇敢だが、性分が慎重で素朴で他国を侵略しないということだ。 私たちの文化的な遺伝子が長い間ずっと続いてきたという気がする。

‐‐ユ長官が見る韓流の原動力は。

ユ氏=K-POPのような大衆文化現象だけが韓流ではない。韓国人の固有の精神的価値から始まった力が根源的に広がっていく現象として見たい。たとえばPSY(サイ)の馬ダンスのようなものは、歌とダンスだけで人気を呼んだのではない。その中にある、興に乗った愉快な気分や自信が人気を呼んだのだ。私はこんなふうに遊ぶ、一緒に遊ぼうよと、このような形だ。K-POPの人気に波があるのは大きく心配するところではない。韓流の核心は私たちの精神力だという点を理解すれば韓流は長引くだろう。

‐‐イ・スプ作家は一時、韓流に反感を持ったといったが。

イ氏=韓国の文化にある魅力があれば自然に他の文化に入り込むはずだが、国家が立ち上がって意図的に広めようとするのではないかと思ったのだ。誤解だった。欧州と南米でフラッシュモップをするのを見ながら考えが変わった。国家が全面に出てなることではなかった。

ユ氏=政府が出て、どうこう言わなければならないというのはかえって逆効果になりうる。

‐‐100年前の韓国人に対する否定と肯定の描写の中で、どれが本当に私たちの姿であろうか。

ユ氏=2種類とも私たちの姿だ。否定と肯定の中でどれをさらに育てるのかを考えてみなければならない。歴史認識や教育を通じて可能だと思う。

イ氏=どこの国にも否定・肯定の面がある。朝鮮時代末期から大韓帝国時代には開港が遅れて世界の流れにはやく適応できなかった。問題が多かった。しかし韓国人と仕事をしてみると非凡でさらに潜在力が素晴らしいというふうに理解されて変わった。崩壊していく国でこういうことを感じたというのは、私たちに示唆するところが大きい。植民地になったせいで韓国は潜在力を思う存分伸ばせなかった。今は違う。肯定の力をさらに育てれば、韓国の魅力は無尽蔵なものだと信じている。


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    2013.08.13 16:54
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    ロシアと日本の間に挟まれた大韓帝国の運命を風刺した挿絵。1905年、米国雑誌『Harper‘s Weekly』に掲載された。
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