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【コラム】アシアナ機事故、その後(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.07.30 14:42
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最近、海外メディアには韓国文化とアシアナ航空機事故についての記事があふれていた。儒教的な位階と権威主義が事故原因になる可能性があるという話だった。後輩操縦士は何か誤ったということを知りながら、あえて先輩操縦士に疑問を提起できなかったというような論理だ。

私もやはり韓国の会社組織で仕事をした経験がある。ソウルの汝矣島(ヨイド)にある資産運用会社であった。会社が採用した初めての外国人が私であった。実際は上司が話す全てのことに同意するのが私の仕事だった。私の役割は会社がグローバルに見られるようにすることと一緒に爆弾酒を飲むことであった。もし私が上司の話に疑問を提起したとすれば歓迎されなかっただろう。だが投資会社は航空会社ではない。人気のある英語ブログ“韓国人に尋ねてみて下さい”で指摘していたように、いくら後輩操縦士が先輩の意に逆らいにくい文化があるからといっても、死ぬかも知れない状況ならば話は変わる。もし韓国式の位階秩序がそんなに危険で強いものなら、アシアナと大韓航空の飛行機事故率はもっと高くなければならないだろう。だが実情はそうではない。

 
私は、まるで自分たちが世界の標準のようにふるまう国の出身だ。それでもしサンフランシスコ空港に不時着した飛行機が英国のブリティッシュエアウェイだとか米国のデルタ航空の飛行機だったら、文化的な差についての論争はなかっただろう。アジアのメディアが「恐らく個人主義的指向の若い操縦士が、経験豊富な先輩の話を聞かなかったのだろう」と報道することもなかっただろう。

一時、大韓航空の安全性に問題があったのは確かだ。1980年、90年代の事故によって韓国航空会社の安全性についての否定的イメージが海外メディアに刻印された可能性はある。しかし世紀が変わって韓国の最大航空会社は急激に安全性についての汚名をそそいだ。合わせて統計上でもアシアナは最初から特に問題はなかった。

“統計上で”という話にシニカルな反応を見せる人々もいるだろうが、飛行機事故は事実、時折起きることだ。民間航空のように平凡なようでありながらも複雑な分野では当然のことだ。

(中央SUNDAY第333号)


【コラム】アシアナ機事故、뮂の後(2)

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