韓日サッカー対決、泥の上で始まった58年の歴史(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.08.10 18:45
◇「一緒に世界サッカーの中心へ」=「Let’s go to France together」(フランスに一緒に行こう)。97年11月1日、ソウル蚕室(チャムシル)メーン競技場。韓国サッカー代表のサポーター「レッドデビル」はフランスW杯アジア最終予選の試合で懸垂幕を掲げた。韓国はW杯本大会行きを早くに決めていたが、日本は韓国に勝ってこそ本大会進出の望みをつなぐことができた。レッドデビルは日本を「世界サッカーの辺境から中心へ一緒に行くパートナー」と定義した。韓日サッカーの英雄の洪明甫(ホン・ミョンボ)と中田英寿は国境を越える友情を込めた『洪明甫・中田英寿 TOGETHER』という本を出した。韓国と日本サッカーが相互補完関係に変わるターニングポイントだった。
韓国と日本のサッカーはお互いをライバルと認めた。競い合って発展するパートナーと見なした。日本は83年に始まった韓国プロサッカーを10年間研究した後、93年にJリーグをスタートさせた。そしてW杯優勝を目標に100年構想を出した。Jリーグ草創期に黄善洪(ファン・ソンホン)、洪明甫ら韓国のスタープレーヤーを呼び、最近は金甫ギョン(キム・ボギョン)、金英権(キム・ヨングォン)ら有望選手を迎えている。