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【コラム】人口5000万人の韓国、30-50クラブに飛躍するには(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.06.25 17:20
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23日に大韓民国が人口5000万人の国になったというニュースを見て、2つのことを思い出した。 一つは「人口は国力」と力説していた高校時代の地理の先生だ。 1人当たりの国民所得が1000ドルを辛うじて達成した1970年代後半まで、権威主義政権の‘国策事業’である産児制限は通用していた。 しかしその先生は授業時間に人口の話が出てくる度に‘反政府闘争’をした。 「南北合わせて1億人を超えてこそ、統一後に日本と競争できる強大国を目指せる」と主張した。 クラスの生徒は個性的な教師の独特の話という程度に考えていた。

もう一つの記憶は70年代初め、医師出身で保健社会部(現保健福祉部)専門委員を務めた親戚の話だ。 産児制限政策が推進されると、「遠からず人口が伸び悩む時代が来るのに、今から産児制限をしてはいけない。 30、40年後には人口不足になる可能性がある」とし、反対の意志を曲げなかった。 当時かなり良い補職だったが、このためか職場を離れた。

 
30年ほど過ぎた今日、世の中は全く変わった。 人口5000万人突破で、国家的な慶祝の雰囲気だ。 数年前まで最近の出産ペースでは5000万人突破は難しいという悲観論が広まっていた。 5000万人を超える人口大国で、1人当たりの国民所得を2万ドル以上に高めた世界7番目の国という点に誇りを感じる。 いわゆる「20-50クラブ」だ。 少なくとも100年以上の先進国経験がある米国・英国・日本に比べて経済発展のスタートは大きく遅れた。 1940年代の第2次世界大戦後の貧国から脱出し、このクラブに入った唯一の国だ。

人口3000万人が4000万人に増えるのにかかった時間は16年。 4000万人から5000万人に増えるのには29年かかった。 産児制限に続く低い出生率のためだ。 60年代の「3人だけ産んでうまく育てよう」というスローガンは70年代に入って「2人だけ産んでうまく育てよう」に変わった。 民主化以降の90年代まで予備軍訓練場に行けば、無料避妊手術バスをよく見かけた。 1997年の通貨危機をきっかけに雰囲気が大きく変わった。 いくら奨励しても出産しない時代になったのだ。 大企業の借入経営のバブルが消え、雇用なき成長が普遍化すると、青年失業が蔓延し、これが結婚忌避と低出産の風潮を加速させた。 合計特殊出生率は1.08人まで落ちたが、昨年は何とか1.24人まで回復した。 しかし高齢者天国の日本より低い出生率だ。 ボスニア・ヘルツェゴビナのように長期の内戦で疲弊した国が世界最低水準の出生率となるが、韓国はそれと似た水準だ。 過去5年間、外国人勤労者と結婚移民者の流入28万人、‘黄金亥年’など結婚・出産特需がなかったとすれば、人口5000万人時代は数年後になっていたかもしれない。


【コラム】人口5000万人の韓醍、30-50クラブに飛躍するには(2)

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