주요 기사 바로가기

【コラム】マサダと独島(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.08.08 17:12
0
イスラエル軍の精鋭部隊の新兵は基礎軍事訓練を終えれば古代要塞のマサダに行って軍人宣誓をする。 マサダとはイスラエル東南部、死海の西側にある巨大な岩山の頂上だ。 外からはよく分からないが中は広い。 曲がりくねった道をかなり登ってこそ出てくる。 天恵の要塞だ。 ここで西暦72-73年、ローマ軍に陥落される過程で民族伝説が誕生した。

これに先立ち西暦66年、ユダヤ人はイスラエルの地を属国として支配するローマ帝国に対抗して蜂起した。 第1次ユダヤ戦争だ。 武装蜂起は熱心党員が主導した。 主戦派だ。 蜂起は失敗した。 報復は残酷だった。 ローマはエルサレムの神殿を破壊した。 神殿は壁一つだけが残った。 いわゆる「嘆きの壁」だ。 ユダヤの受難を象徴する。 ローマ軍に捕まった熱心党員は十字架に吊るされたり、円形競技場で猛獣と素手で戦って死んでいった。 この時からユダヤ人は故郷を失った。 世界を放浪するディアスポラはこのように始まった。

 
生き残った一部の熱心党員はマサダを基地として抵抗を続けた。 西暦73年、マサダ進入に成功したローマ軍が発見したのは集団自決した男女950人余りの遺体だった。 陥落危機を迎えると、2人の女性と5人の子どもを残して全員が死を選んだ。 律法は自殺を禁じているため、お互い相手の命を奪ったのだ。 死んでも屈服はできないということを命で示したのだ。 遺跡地は1842年に発見された。 1963-65年の発掘で英雄の遺骨が見つかった。 69年7月7日、イスラエル軍は最高の礼遇で軍隊式葬儀を行って遺骨を埋葬した。


【コラム】マサダと욓島(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP