【コラム】親しくするべき国、ロシア(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.08.04 17:59
ソウル貞洞(チョンドン)の小さな丘の上には白い3階建ての搭がある。 1890年に建てられたロシア公使館の跡だ。 閔妃(ミンビ)が殺害された直後、高宗が移った俄館播遷の現場だ。 丘に上がってみると、都心最高の明堂であることが分かる。 慶運宮(キョンウングン、現徳寿宮)、景福宮(キョンボックン)、慶熙宮(キョンヒグン)を見渡せる。 当時の写真を見ると、公使館は丘の上の巨大な城砦だった。
高宗はなぜこうした要地をロシアに与えたのだろうか。 切迫した状況だったからだ。 高宗より7歳も若い袁世凱は王宮をかき回しながら廃位を云々して脅した。 清を退けて朝鮮を助けると話していた日本は深夜に王妃を殺害した。 高宗は毒殺を警戒し、王妃が生前に寵愛した米国宣教師(アンダーウッド)の夫人が作ってきた食べ物だけを食べた。 密かにロシアの軍人を呼び入れた後、冬の未明、宮女の輿を借りて貞洞の丘の道を上がった。 高宗はロシアの力に頼って日帝に抵抗した。