【噴水台】情けないスパイ
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.02.22 16:48
1914年に第一次世界大戦が始まった直後、ドイツ情報機関がベルリンでオランダ国籍の美女を抱き込んだ。 パリのムーランルージュのダンサー出身で、38歳の離婚女性だった。 彼女には、敵軍の高位将校に接近して機密を盗み出して来いという任務が与えられた。 外貌・頭脳・話術などスパイとして完璧な条件を備えた彼女をフランス情報要員も注目した。 敵の細作と知らなかった彼らも、彼女にドイツ軍の情報を盗んで来いと命じた。 二重スパイ生活が始まったのだ。 しばらくしてドイツ情報局は疑いを抱き、フランス側に彼女がドイツのスパイという事実を暗号で流した。 結局、彼女はパリで逮捕され、反逆罪で1917年10月15日に銃殺刑にされた。 41歳だった。 マレー語で「日の目」を意味する「マタ・ハリ(Mata Hari)」のことだ。 オランダ将校だった夫を追ってインドネシア・ジャワ島で住んだことがあるため、こうした名前を使ったという。 本名はマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレだった。
希代のスパイ事件ほど興味津々の話もない。 生活が映画や小説よりも劇的なためだ。 リヒャルト・ゾルゲという名前も欠かせない。 第二次世界大戦の勃発直前に捕まったが、連合軍の勝利に大きく寄与をしたソ連のスパイだ。 ゾルゲは1930-1933年に上海で活動した後、日本に渡り、1941年10月に逮捕されるまで9年間暗躍した。 駐日ドイツ大使と親しくなった後、ドイツのソ連侵攻作戦に関する情報を取り出して猛活躍した。 一緒に仕事をした日本共産党員の背信で1941年10月に検挙され、3年後の49歳で刑場の露となって消えた。