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【噴水台】高校野球

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.10.27 12:52
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野球を見る目が国ごとに違う。米国は「ベースボール」だ。塁を順に占領して「ホーム」に帰還する競技だ。中国は棒球だ。棒を利用するものだ。日本は野球だが、たぶん野原のように広い球場が印象的だったのだろう。韓国に紹介された1905年、YMCAでは打球や撃球と呼んだ。叩くとか打つ競技と見たわけだ。日本植民地時代を経て野球になったが。

スカッと打つ痛快さからだったろうか。野球は抗日精神を噴出する競技だった。中学校を中心に行われた連盟戦は光復(独立)以後、高校野球大会につながっていく。1946年、徽文(ヒムン)中学と開城(ケソン)中学の開幕戦で青龍旗が、翌年には黄金獅子旗大会が行われる。6.25戦争でしばらく中断したが、疲れてだるい生活に気を落とす庶民たちに軽快な打球の音は日常の煩悩を少しの間でも忘れさせる清涼剤だった。そういえば野球ボールの縫い目も108個だ。「百八煩悩」というではないか。こんな高校野球は1967年一大転換期が訪れる。その年の4月25日、東大門球場。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領がマウンドに上がった。第1回大統領杯高校野球開幕戦始球式のためだ。この大会の優勝は慶北(キョンブク)高校、MVPはイム・シングンだった。大韓野球協会が発行した「韓国野球史」はこの時期を「高校野球全盛時代の開幕」と表現する。鳳凰旗大会まで加わり、高校野球は爆発的な人気を呼んだ。大会ごとに満席で、東大門球場周辺には校歌が絶えなかった。

 
多くのスターを輩出したが、70年代は「1チェ2キム」のトロイカ時代だった。慶南(キョンナム)高校のチェ・ドンウォンと大邱(テグ)商業高校のキム・シジン、そして群山(クンサン)商業高校のキム・ヨンナムだ。投手時代が開かれ、互角に競い合う名勝負に全国民が手に汗を握った。しかしこれが最後の光だったか。1981年光州(クァンジュ)一高のソン・ドンリョルと善隣(ソンリン)商業高校パク・ノジュンの対決を最後に、高校野球は翌年開幕したプロ野球に光を遮られた。

プロ野球に押されたまま通常の同門会に代わって行われてきた高校野球が来年から変わる。平日の試合を無くし、トーナメントではなくリーグ方式で行うという。選手の学習権の保障という側面で週末の試合は望ましい。しかし大学進学に必要な成績をチームではなく打率、防御率など個人別に付けるのは問題だ。協調心の代わりに利己心を助長してしまったらどうなるか。また1年に2度、王中王戦に統合し、40~65年の歴史の「○○杯」「△△旗」大会も存廃の岐路に立った。

日本は今年、第92回「甲子園大会」は開かれたのに。

パク・ジョングォン論説委員



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