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故金大中元大統領「私は非嫡出子だった」自伝出版

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.07.30 12:53
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故金大中(キム・デジュン)元大統領(DJ)の人生と政治歴をまとめた「金大中元大統領自叙伝」が29日、公開された。金大中平和センターは金元大統領が2004年から41回にわたって口述した録音と日記などをもとにそれぞれ708ページ、648ページ分量の自叙伝1、2冊を出した。本には「出生の秘密」から朴槿恵(パク・クンヘ)ハンナラ党元代表に対する感想、南北首脳会談秘話、李明博政府に対する評価まで書かれている。

 
金元大統領は自分が「非嫡出子」という事実を初めて明らかにした。「私は長い間政治をしながら私の出生についてと母親について一切も言わなかった。多くの攻撃と苦しみを受けたが「沈黙」してきた。一生セカンドとして生きた母の名誉を守って上げたかったからだ。しかし事実を隠すとして母の名誉を守ることではないと考えた。母は難しい条件の中でも私がひがまないように育ててくれたし、私も誰より母を愛したからだ」

自分を死の入口まで引きずった朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領の娘、朴槿恵ハンナラ党元代表が2004年、訪ねてきたときに感じた「喜び」も書いた。「朴代表は父親のしたことに対して謝罪した。『父の時代にいろいろと被害を受けて苦労されたことに対し、娘として謝罪の言葉を申し上げます』私はその言葉が本当にありがたかった。『世の中にこんなこともあるんだ』と言った。朴正熙が生まれ変わって和解の握手を求めてくるようでうれしかった。謝罪は独裁者の娘がしたが、いざ私が救われるようだった」

一方、金泳三(キム・ヨンサム)元大統領に対しては複雑な心情を示した。金大中元大統領は1987年、金泳三元大統領との野圏候補一本化失敗について「私でも譲歩をしなければならなかった」「後悔している」と自分を責めた。といえども99年10月「釜山民主公園」開園式に出席した際、金泳三元大統領が「このまま行くと独裁の亡霊がよみがえる」として自分を責めると「後で聞いたら金元大統領はこれよりもっと激しく自分を責める原稿を準備したそうだ。ところで風が吹いてよりによってその部分の原稿が飛んでしまったと言った。どうして風がそんな妨害をしたのかわからない」と述べた。

南北首脳会談当時の秘話も公開した。金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長が共同宣言文を「林東源・金容淳」名義で発表しようと言ったが、積極的に説得して両首脳名義で宣言文が作成されたというのだ。当時、金委員長が「大統領が全羅道生まれだからそうかすごく執拗ですね」と言うと金元大統領は「金委員長も全羅道全州金氏ではないか」と冗談を投げかけたと紹介した。

李明博大統領に対しては批判した。「李大統領は南北問題に対する哲学がない」「実用の概念を過って理解している」「過去、建設会社に在職した時の傍若無人な態度を現した」「統一部、科学技術部、情報通信部、女性部が廃止及び縮小部処として挙論された。私が見るには現在と未来、我々を生かす部処だった。その短見が非常に危険に見えた」と評した。

金大中平和センターは自叙伝に載せられなかった未公開日記帳と口述録音が多いと伝えた。DJ秘書室長を務めた朴智元(パク・チウォン)民主党院内代表は「金元大統領はメディアのマンガに自分の鼻が常に大きく描かれることに対して「どうしてこんなに大きく描かれるのか。これはないだろう」とも言ったし「DJ」というイニシャルをとても好きではないとし、金泳三大統領にもYSという言葉を使わなかった」また「多くのエピソードを自叙伝に載せられなくて残念」と言った。日本語版・中国語版も出版される。




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    故金大中元大統領「私は非嫡出子だった」自伝出版

    2010.07.30 12:53
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    2004年8月、朴槿恵ハンナラ党代表がソウル東橋洞金大中図書館を訪問すると金大中元大統領が椅子を引いて座るよう勧めている。
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