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【噴水台】エキスポ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.05.03 14:28
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100年前に行われたイギリス・ロンドン博覧会に日本は台湾の原住民を展示した。イギリス・フランスのように植民地を持った強大国になったという姿を見せたのだ。日清、日露戦争に続けざまに勝利した日本は、当時すでに博覧会を国力誇示の場として活用しているものと思われた。

 
多くの国が参加する国際博覧会をよく「エキスポ」という。それはオリンピック・ワールドカップとともに世界3大祭りだ。年輪ではエキスポが大先輩だ。オリンピック(1896年)とワールドカップ(1930年)よりずっと早い1851年5月に生まれた。イギリスのロンドン「水晶宮」(Crystal Palace)で行われた初のエキスポは産業革命が生んだ繁栄と革新を精一杯見せる場だった。開幕式に出席したビクトリア女王は「イギリス歴史上、最も盛大で、美しく、栄光の日」と日記に書いた。

先進国のエキスポは行進国の学習の場だった。日本の場合、1867年パリ万博に初めて出展した。西洋文物の水準に驚いた使節団、その中には青年渋沢栄一がいた。このエキスポ青年は後日、実業界に身を投じて企業を掘り起こす。彼が今日「日本資本主義の父」と呼ばれる人だ。

弱小国朝鮮はエキスポが国の命綱を伸ばす秘方だと考えた。1893年、米国シカゴエキスポで初めて独自の展示館を立てて国の存在を知らせた。「未知の東方国」朝鮮の展示館はかなり人目を引いたようだ。エキスポ参加隊員の帰国報告を高宗実録はこう伝える。「見物する人が集まって管理者が応対する暇もなかった。だから紙に物品名と用途を書いて物品の上に付けることで応対の代わりをした。「今振り返れば亡国に行く道にわらでもつかもうと思った悽絶な行動だった。それからちょうど100年が過ぎた1993年、我が国は国際博覧会機構(BIE)公認大田エキスポを開催した。「コンパニオン」という言葉が初めて登場したそのエキスポだ。

このごろ中国上海で超大型エキスポが開かれている。改革・開放の成果を世界のあちこちに誇示する席だ。北朝鮮もここに賃貸館を得て初めてエキスポに参加した。ところが見窄らしくて何もない北朝鮮館に観覧客が訪れているという。その理由がほろ苦い。ベールに包まれた閉鎖社会に対する好奇心だというのだ。「隠遁国」朝鮮の展示館に集まった碧眼の好奇心、それとは何が違うか。


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