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「日本、鉄の伝来を浦項製鉄で韓国に恩返し」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.04.14 17:46
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[庚戌国辱100年紙上座談会・上]韓日元老6人が100年を論ずる

◇古代からの韓日交流史

 
--韓国と日本は古代からさまざまな交流をしてきた。 お互いどんな影響を及ぼし合いながら現在の社会文化を形成してきたと考えるか。

梅原猛=中国の先進文化は韓国を経由して日本に入った。 私は今月、『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』という本を出すが、出雲王朝の創立者は韓国から来たと考えている。 『日本書紀』に多くの文書があるが、そのうち3つの文書は‘韓国系’と把握している。 これは新しい考えだ。 弥生(BC200-AD300)時代には日本海(東海の日本式表現)側が日本の中心部だった。 したがって越の国、今の新潟県から移ってきた国が出雲を支配していたが、韓国から来たスサノオ(日本神話の人物)が出雲を越の国の支配から独立させた。 出雲王朝の創立者は韓国系と考える。 その証拠に出雲王朝の遺跡から銅鐸が出てきた。 大和王朝の鏡に代わるものだ。 銅鐸の起源は韓国の貴族が双頭馬車に付けて入った鈴だ。 (神話に出てくる)スサノオが韓国から渡ってきたとする説はますます有力になっている。 新しい日韓関係を見せてくれる。 韓国にまた注目しなければならない。 古代日本にとって韓国は文明国であったし、さまざまな文化を伝えてくれた恩人だった。

朴泰俊(パク・テジュン)=古代韓国は日本に文明を伝授した。 ポスコがある迎日湾の村には、『三国遺事(サムグクユサ)』に記録されている新羅時代の「延烏郎細烏女」という夫婦の話が伝えられている。 この夫婦が日本に‘太陽と月’(光)を伝え、王と王妃に推戴されたという話だ。 ‘光’は文明を意味する。 1973年に迎日湾には日本の協力で新しい‘光’が誕生した。 溶鉱炉の光、すなわち浦項製鉄だった。 迎日湾を背景に両国間でやり取りした‘光’の話は、両国関係の未来を照らす灯火と考えてもよい。 韓日間には日本の侵略と植民地という痛ましい歴史もあったが、お互い助け合いながら発展した時期も多かった。

三村明夫=日韓関係はどちらかが一方的に知識を伝えたわけではない。 韓国と日本がお互い優れた時代があり、自然に文化・技術などが伝えられる関係だった。 鉄の場合、4-6世紀に百済から福岡、新羅から出雲、高句麗から敦賀に「たたら製鉄」が伝わった。 砂鉄を使用し、木炭を入れて作る技術だ。 逆に1968年には、韓国に浦項製鉄が設立された時、日本の八幡製鉄、富士製鉄、日本鋼管の3社が積極的に支援した。 日本が恩を返したのだ。 八幡と富士は合併して新日本製鉄になった。

李御寧(イ・オリョン)=宗教・文化面では儒・仏・仙が融合して調和を作り出し、お互い深い影響を及ぼし合った。 軍事・経済面では韓国は海洋勢力と大陸勢力の挟み撃ちを受けたが、かえって強力な民族意識と生存の知恵、強靭さを作りだした。


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