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【その時の今日】「部屋全体がすぐに温まる」外国人も感嘆するオンドル文化

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.12.09 13:02
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「薪を運ぶ牛と馬の行列は通常未明から午前10時まで続くが、この時間帯にはソウルの街を通るのが本当に難しい。1頭がようやく通れる狭い道でばったり会うことになれば、仕方なく薪の包みと壁の間に挟まらないよう退けたり、出口や横道を見つけたりするまできびすを返さなければならない」(「コレア、コレアニ」、森と木)。

 
イタリア領事のカルロ・ロジェティーが体験した真冬のソウルの街は薪の包みを大量に積んだ牛と馬とぶつかり通行が困難なほどだった。

「ここで温かく過ごすのは非常に難しい。非常に寒く、公使館に必要な燃料代が毎月75ドルもかかる」。

1885年の冬、月給60ドルで公使館を運営していた米国の代理公使フォークが両親に送った手紙で訴えた通り、貧しい庶民が朝夕、木の枝を一束ずつ購入し、ようやくご飯を炊き、体を温めることができたあの時代。「かまどがご飯を食べる」ということわざがある程度に、コメを売って薪を買わなければならないほど燃料代は高かった。

越冬向けの薪を用意するのはキムジャン(越冬のためキムチを大量に漬けること)よりも切実であった。「床は非常に暖かく、部屋全体がすぐに温まる。かまどはご飯を炊くと同時に温気も与えることから、経済的にかなり有利だ。ロンドンやニューヨークの最も窮乏する人と比べてみた場合、ソウルには寒く過ごしたり、欠食したりする人はほぼない」(「サントゥの国」、ジブムンダン)。

アンダーウッド夫人の賛嘆のように、薪の火で炊事と暖房を兼ねていた韓国の庶民の越冬は、帝国の貧民より厳しくはなかった。「ソウルは天国ではない。夕方ころの空は奇妙に変わっていく。各家庭のかまどに燃料を入れて火をつけるから、莫大な量の濃い煙が都市を包む。この煙の中で、あなたはほとんど息をすることも前を見ることもできない」。

フォークの記憶通り、当時、ソウルの空を覆うほど各家庭のかまどは山林を禿山にしながら燃えあがっていた。帝国主義・日本が「オンドルによる亡国論」を主張するほど韓国の暖房文化が山野を裸にしたひとつの要因であるのは違いないが、その主犯は帝国主義・日本による山林の収奪であり、同族同士で戦った韓国戦争(1950~53)であった。

52年に政府が無煙炭の普及を積極的に進めて以来、かまどは薪の代わりに練炭を燃やしはじめた。60年代以後、練炭・石油・ガスボイラーが次々と普及し、住まいの形も韓国式から洋式に、マンションに変わっていった。しかし薪の火の熱気を全身に伝えたオンドルの文化は依然生活の奥深く息づき、進化中だ。チムジルバン(日本のサウナに相当)で横になりたくなる今日この頃である。

                  慶煕(キョンヒ)大学・許東賢(ホ・ドンヒョン)学長(韓国近現代史)


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