【コラム】後に生まれた者が歴史に石を投げるのか-親日人名事典の後(上)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.11.20 15:48
「私には(京城駅グリルの)この物悲しい雰囲気が、街中のティールームの騒がしい雰囲気より気に入っている。 閉店まで座っていることも多かった。 コーヒーがいい」
李箱(イ・サン)の小説「翼」に出てくる一節だ。 彼が1925年に完工したソウル駅のスケールと、当時のモダン飲料であるコーヒーに魅了されていることが分かる。 日帝が植え付けた近代の誘惑はそれほど強烈だった。 植民地の若者の一部はモダンボーイに変身した。 自分の力で得たものでないモダン文明に胸が痛んだが、新しい変化と恩恵を楽しんだのも事実だ。 こうした逆説の風景は日帝時代の日常史・文化史の本に出てくる。
2000年の「ソウルにダンスホールを」(キム・ジンソン)、「モダンボーイ京城を散策する」(シン・ミョンジク)、「魅惑の疾走、近代の横断」(パク・チョンホン)など多くの本は近代の一般人の日常を照明している。 西欧も同じだ。 例えば日常史としてドイツ・ナチス時代を研究したところ、全く違う歴史の絵が登場した。 独裁権力に全面的な支持・協力や強力な反対・抵抗をした勢力ではなく、消極的な抵抗から自発的な同意をした多数の顔が表れた。 こうした人々は留保的同意ないし無数の複合的選択をしたのが特徴だ。 すなわち政治史が「黒と白の歴史」なら、日常史は「多様なカラーの歴史」だ。