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【噴水台】臨人

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.10.15 14:10
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春秋時代、晋に佛肸という官員がいた。彼が反乱を起こした。中牟という地域であった。そこの士大夫たちを一カ所に集めた佛肸は、大きな釜を移しておくようにした。そして湯を沸かした。佛肸は「私に従わぬ人々は、この釜の中に入りなさい」と命じた。

 
薪の山の上でぐつぐつと沸く釜の水。その誰も敢えて佛肸の意に逆うことができなかった。しかし1人、田卑という人物は違った。「正義をもって死ぬ人は、斧の下で消えることを恐ろしがらないもの」と言い、彼は釜に近寄った。ついに釜の中に身を投げようとしていた刹那に、佛肸は、椅子を蹴飛ばして駆けていき、彼をつかまえた。田卑はそうして生き残った。

引き続き政府が送った軍隊が到着し、中牟は本来の状態を取り戻した。軍隊司令官が田卑に正義のあることを記念しようとした。大変大きな賞を贈ろうと。しかし田卑はこれを断った。「私が賞を受けとれば正義には従わなかったほかの人々は何の面目で生きていくのか」という理由からだ。彼は最後の一言を残して南側の楚に発つ。その言葉の響きが非常に大きい。「私の行動で他人に臨むことは正しくない」(以行臨人、不道)という言葉だ。

「臨人」は他人に近寄るという意味だ。言わば他人に対する方法だ。大きな賞をもらうのに余りあるほど誇らしかったが、それを受け入れることで他人に負担を背負わせてしまったら、偉大で堂々たる田卑の正義は光を失ったかもしれない。他人にとって自分とは何だろう。負担だろうか、抑圧だろうか、強要だろうか。それならそれは君臨だ。王または支配者の姿勢で人に対するという意味だ。自分の考えと行為を強要する姿勢だ。爆圧的で強制的なので他人との疎通が容易でない。

有名司会者キム・ジェドンのKBS途中降板を見る目がそうだ。権力層の人に対する態度が垣間見える。自分の考えと違うからといって人を押しのける姿がありありと見える。朝鮮のたちの悪い党争もこんな人文的環境に始まったという想像をしてみる。

自分と違う他人も尊ぶことを知るべきである。衆生済度のために身を落とした釈迦、低い所に臨んだイエス・キリストを思い浮かべることもない。自分自身を下げ、人に対する態度、漢字で枉臨だ。君臨ではなく枉臨。人に非情に当たる韓国文化を改めて考えてみる。

                                     劉光鐘(ユ・グァンジョン)論説委員


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