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張保皐が清海鎮大使になった828年、韓国で初めて茶を裁培

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2009.10.08 17:23
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国内で初めて茶が裁培され始めた時期と、張保皐(チャン・ポゴ)が清海鎮(チョンヘジン)を設置した時期がほぼ一致し、興味深い。 『三国遺事(サムグクユサ)』は「興徳王3年(828年)使臣として唐へ行った大廉(デリョム)が茶の種を持ち帰り、智異山(チリサン)に植えた」と記録している。 一部では茶がインドの仏教とともに1世紀に入ってきたと考えられているが、それに関する公式文献がなく、学界では828年を韓国最初の茶裁培年度と見なしている。 828年は張保皐が清海鎮大使に任命された時でもある。

当時、張保皐の海上貿易物のうち核心品目は陶磁器だった。 しかし陶磁器は茶と切り離して考えることができない。 西江(ソガン)大のチョ・ボムファン教授(歴史学)は「韓国で発掘される相当数の陶磁器が湯のみ茶碗というのは、茶の文化がそれだけ発達したという傍証」とし「張保皐の交易物品のうち茶が重要な比重を占めていたと考えられる」と述べた。

 
チョ教授は「唐に留学した新羅(シルラ)の求法僧らによって禅宗が伝えられ、茶文化が発達した」とし「禅宗仏教は参禅を重要視するために僧侶は清い精神を維持する手段として茶をたくさん飲んだ」と説明した。 また「茶は唐に留学した僧侶らが持ち帰ったか、貴族の助けを受けて購入したと考えられる。それほど高級な品目だった」と述べた。 茶は陶磁器とともに新羅時代に慶州(キョンジュ)の貴族や僧侶が持っていた必需品だったということだ。

張保皐の交易港と茶裁培地がほぼ一致する点も注目される。 成均館(ソンギュングァン)大講師のキム・ジンスク博士(茶学)は「張保皐が貿易のために出入りした唐の港の周辺を見ると、ほとんど高級茶生産地域と一致または近接している」とし「巨商だった張保皐がこういう物品で儲けられると考えなかったはずはない」と述べた。

キム博士は「張保皐によって茶文化と裁培技術、陶磁器生産技術が韓国南海岸一帯に普及した」と付け加えた。 張保皐の国内活動舞台だった南海岸一帯も茶を裁培しやすい気候だ。


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