職業上、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権といえば真っ先に思い浮かぶのは記者室の閉鎖だ。 盧政権はこれを「メディア改革」「取材先進化」と呼んだ。 当時、日本の記者に会うたびに「大丈夫か」という心配の声を掛けられたことを思い出す。 しかしこれからは私が日本人記者に「大丈夫か」と声を掛けることになるかもしれない。 民主党政権が近く発足すれば、いかなる形態であれ「記者クラブ」(韓国の記者室にあたる)にメスを入れるという声が聞こえてくる。 「記者クラブ」は自民党政権、そして官僚との談合および癒着の温床になっているからだ。 まさかそこまでするかと思うが、あまりにも似ている主張にぞっとする。
16日に首相に就任する鳩山由紀夫代表の外交安保スローガンは「対等な日米関係」だ。 表現が違うだけで、盧武鉉の「自主外交」と変わらない。 鳩山代表は先月27日、ニューヨークタイムズへの寄稿で米国を痛烈に批判した。 米国主導のグローバリゼーション(globalization)のために人間の尊厳が失われたという極端な表現まで使った。 「反米ではいけないのか」と言った盧武鉉政権の初期を見ているようだ。 1993年の細川連立政権の時だった。 日本が米国との距離を置くと、米クリントン政権は容赦なく通商圧力を加えてきた。 この時に対抗した人物が当時連立与党の水面下の実力者だった小沢一郎氏だった。 両国のぎこちない関係は数年間続いた。 そしてこれは日本経済が長期不況から抜け出せない一因となった。 ところが皮肉なことに次期政権の水面下の実力者も小沢氏だ。