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【社説】DJ逝去、和合に向けた「真の出発点」にすべき

2009.08.19 10:16
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韓国の第15代大統領、金大中(キム・デジュン DJ)氏が昨日逝去した。

DJは音楽番組のDJ(デスクジョッキー)のように、長い歳月にわたり歴史の交響曲と小品を聞かせてくれた。あるものは甘美で、あるものは騒々しかった。同氏は去ったが、メロディーはいつまでも残ることだろう。

 
「大統領・金大中」は5年(98-03年)だったが、「政治家・金大中」はおよそ50年だった。同氏は6回議員に当選し、4回も大統領候補になった。ほかの大統領経験者とは異なり、同氏は大統領をやめた後も政治を離れなかった。南北(韓国・北朝鮮)、社会の対立問題から最近の「李明博(イ・ミョンバク)独裁政権」をめぐる議論に至るまで同氏は政治の領域を行き来した。

だから人々は同氏が遠くにいると感じたことがない。そんなDJが波乱万丈な栄辱の人生を後に、永遠に去ったのだ。3カ月前は盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が投身という衝撃的な形でこの世を去った。09年の夏、韓国では、このように現代史の波がうねっている。功労と過ちを離れ、同氏が形成した根、幹、枝の深さと大きさから考えて、DJは現代史の巨木である。同氏の人生には現代史が圧縮されてある。

同氏は終生闘争と逼迫(ひっぱく)、敗北と勝利、和合と対立というメリーゴーランドに乗り、歴史の軸を激しく回った。だから同氏の足跡には韓国社会の「問題」と「解決策」が同時に隠れている。功労と過ちを静かに評価し、逝去を歴史発展の肥料とするのはもはや韓国社会の役目といえる。

DJは闘争し、迫害された。61年に民議院に当選するやいなや朴正煕(パク・チョンヒ)氏のクーデターで議員職を失った。それ以降、朴正煕元大統領の「開発独裁」と対北強硬政策に対抗した。京釜(キョンブ ソウル-釜山区間)高速道路に反対し、郷土予備軍の廃止を主張した。71年には反対勢力を代表する大統領候補になり、闘争を繰り返すほど民主化勢力のリーダーに浮上した。日本で中央情報部により拉致(らち)され、投獄されたこともあった。80年には新しい軍部政権から死刑を言い渡された。同氏の受難は光州(クァンジュ)民主化運動の重要な動機となった。

韓国の現代史で、民主化の闘争が開発独裁・産業化より優越的意味を持つとはいえない。しかしDJが肉体的辛苦を通じ韓国人に「民主化」という概念を植え付けた意味は決して小さくない。DJは敗北したことも、勝利したこともある。韓国で民主主義が開いた87年、同氏は金泳三(キム・ヨンサム)氏との候補一本化を実現できず、第5共和国・新軍部による権力継承を許してしまった。民主化の勢力が政権党になる機会を失ってしまったのだ。

DJは責任の半分を抱えねていかなければならなかった。しかし犠牲と闘志で勝利を導き出したこともある。同氏は90年盧泰愚(ノ・テウ)、金泳三、金鍾泌(キム・ジョンピル)氏らの3党統合に対抗、闘争した。国土の隅に追い込まれた湖南(ホナム・全羅道)の勢力と進歩勢力を率いて同氏は戦った。13日間にわたるハンガーストライキで自治体を実現させ、やがて98年、大統領になった。

大統領になると、DJは生涯の課業としてきた北朝鮮との和解に邁進(まいしん)した。同氏は北朝鮮の指導者と会談した初の韓国大統領になり、韓国人として初めてノーベル賞(平和賞)を受賞した。しかし真正性ほど方法論は成熟しなかった。首脳会談の舞台裏で渡した数億ドルにのぼる違法資金、正体不明な「低い段階の連邦制統一」の合意、そして続いた北朝鮮への融和策はいまでも議論と対立をもたらしている。残念なことと言わざるを得ない。

それでも、誰が何と言っても、一貫性を保ち対北包容政策を進めたのは、南北関係で大きな足跡を残したものと評価できる。原則を重視するのが対北政策のポイントだからだ。DJは与野党間の、嶺南(ヨンナム、慶尚道)と湖南の間の、権力交代という歴史の宿題を達成した。そして心血を注いで、国家を国際通貨危機から救い出した。息子の不正で国民の憤怒を買うこともあったが、本人は進歩政権の再創出に成功した。大きく見て順調な進行だった。

すると同氏には国家的包容の良いチャンスがあった。産業化勢力の歴史的意味を認め、これを継承した李明博政権を受け入れ、大統領経験者として国家的統合に努められる資格と機会があった。しかし、惜しくも同氏は詰めのところで自身を育てた「闘争の過去」に戻ってしまった。現政権を独裁と定義付け、国民に立ち上がって行動するよう求めたのだ。

同氏にはそれなりのロジックがあっただろう。自身が献身した南北の和解が危機に処し、進歩派の盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏が検察の捜査を受ける過程で、衝撃的に死亡したことに心が大きく動転したのかもしれない。しかしそうであるほど、地域と政派を離れて国家元老の道を歩めばその空席はより大きかっただろう。金大中元大統領は闘争と献身という思い出と「対立の治癒」という宿題を同時に残し、この世を去った。

同氏の苦難に悲しみ、同氏の演説に熱狂した湖南の人々、金大中・盧武鉉両氏を二頭立ての馬車とした進歩派、ひたすらDJと長い歳月をともにした一般市民、そしてDJの考え方や言行に憤怒したDJ反対者らいずれもがDJを見送っている。韓国の現代史で完璧なリーダーはない。時代の状況によって効用性が異なり、功績と過失の重さが異なるリーダーがいるだけだ。DJをより正確な歴史の秤にかけるためには、より多くの時間が必要かもしれない。巨木が風に揺れないのと同じく、常に同じ場所で同氏の魂が韓国人とともにいることを祈りたい。故人の冥福を祈る。


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