およそ20年前、憂うつ精神病(Depressive psychosis)で幼い子どもを殺し、自分は生き残り、精神科に入院した主婦を治療したことがある。 子どもを殺したことに対する罪責感はなく、自分の体の痛みにのみ過度な関心を持つように見られ、治療陣も気持ちが重くなったことを覚えている。 その患者の精神世界では、子どもは自分の体の一部にすぎず、別個の個体として認識していなかったため、子どもを殺したことに後悔を感じなかったのかもしれない。 韓国のメディアや社会は、幼い子どもと一緒に自殺を図れば、何も考えず‘同伴自殺’と表現するが、こういう親を殺人魔と見なす西欧とは対照的だ。 家族構成員が心理的に分離していない‘私たち’の領域でまとめる韓国人情緒の一断面を観察できる。
同伴自殺は必ずしも家族の中だけで起こるわけではない。 カルト教団の教祖だったジム・ジョーンズと信者らがガイアナの人民寺院で自殺した事件も、約20年前のいわゆる‘五大洋事件’も同伴自殺の一種だ。 幼い子どもが親の強圧や洗脳のために自身の意思とは関係なく自殺に巻き込まれたり殺害されるのと似た共生的力動(Symbiotic dynamic)が、カルト教団の教祖と信者の間にも起こるのだ。 まず宗教的な妄想に陥れば同伴自殺を自殺として認識せず、新しい世界に招待され、選択されているように錯覚する。 彼らの意識世界は希望ではなく絶望で満たされ、自殺を途中で拒否する人を背信者と認識する歪曲された認知現象も観察される。