どんな人でも平常時には本当の姿を知るのが難しい。 しかし何か大きな出来事があると、その事件を通してその人がどんな人か自然に表れるケースがよくある。 社会も同じだ。 大きな出来事が起きると、これを処理する過程でその社会の深さと限界が表れる。 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の死も私たちの社会がどんな社会かを改めて眺める機会だった。
わずか1年半前、人々は盧武鉉(ノ・ムヒョン)の政治に失望し、彼の政治理念を継承した候補ではない現在の政権を選択した。 それも500万票という歴史上最大の差でだ。 選挙敗北後、彼を後押しした政党ですら彼の痕跡を払拭しようとした。 しかし彼の死でこのような雰囲気は逆転した。 彼の政治的な遺産を尊重すべきだと言って豹変した。 政治家とはもともとこういうものだと言って済ませることもできるが、ここに知識人までも加勢した。 追悼の熱気に驚いてか、突然、盧武鉉政治に対する称賛が大勢になった。 それなら今また盧武鉉式の政治に戻らなければならないか。