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【グローバルアイ】善意の社会、悪意の社会

2009.05.07 14:34
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先日、娘の小学校の保護者会代表からメールを受けた。 少しずつお金を集めて学校の先生を昼食に招待しようという内容だった。 5日が米国の「恩師の日」だったからだ。 時間のない人は各自で先生に小さな贈り物をしてもよいということだった。 贈り物の上限は普通20ドルだ。

国民権益委員会がソウル江南(カンナム)など一部の地域の学校に調査官を派遣し、寸志の監察を行ったという中央日報の記事を見て、何とも言えない気持ちになった。 学校の先生が感じる自己恥辱感もそうだが、潜行監察にかかる社会的な費用について考えたからだ。 仮に寸志根絶のために韓国のすべての学校に調査官を派遣すれば、どれほどの費用がかかるだろうか。 果たしてその費用は必要なのか。 費用をかければ寸志はなくなるのか。

 
米国では韓国のように車道をふさいで飲酒運転を取り締まるケースはほとんど見られない。 運行が怪しい車を見つければ、後をつけて飲酒運転かどうかを確認するケースがほとんどだ。 韓国の警察が飲酒運転の取り締まりに投じる費用を考えてみよう。 全国で数百人の警察が明け方まで運転手と悶着する。 夜勤手当をなしとしても、少なくとも当日の午前は休まなければならない。 こうした日が1カ月に何度かある。 米国で子どもを学校に送る際、必ず警察を見る。 小さな交差路でも歩行者の安全と交通の流れをチェックする。 必要な場所には警察がいる。 半面、韓国の大きな交差路ではお互い先に行こうとする車で混乱している状況だが、これを解決する警察がいない場合も多い。 韓国の警察が少ないからではなく、米国では必要のない仕事に拘束されているからではないだろうか。

考えてみると、検問など大規模な取り締まりをする韓国では、飲酒運転がはるかに少なくなければならない。 しかし現実は反対だ。 米国で飲酒運転をする人はほとんど見られない。 些細に見える両国間のこうした差は、社会を眺める根源的な視覚の差に起因するものだ。 米国人が眺める社会は「善意が優先視される社会」だ。 誰も一定以上の贈り物を先生に渡さず、誰も飲酒運転をしないものと考える。 こうした信頼を基盤に社会システムが成り立つ。 このため個人の自由を最大限に保障できる。 その代わり約束を破る人には厳しく対応するだけだ。 半面、韓国の社会は極端に言えば「悪意が支配する社会」ではないだろうか。 自分ではなく他の人がこの社会の約束を守るということに対する基本的な信頼が足りない。 このためいちいち干渉し、取り締まり、監視しなければならない。 社会システムもこうした認識をついていくしかない。

どちらが必要のない社会的費用を減らし、限られた資源を必要な所に集中できる社会なのかは、言うまでもない。 どちらが望ましい結果をもたらすかも同じだ。

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