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「子供たちに夢と勇気を」楽天・岩隈投手インタビュー(2)

2009.05.01 09:45
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--WBCのMVPに選ばれた松坂が「岩隈に申し訳ない」と言ったが。

「ありがたいし、うれしかった。松坂投手はチーム、特に投手陣の中心だったし、後輩たちを励まして食事会を用意してくれたりした。米国マウンドの傾斜、硬さ、球場の特徴なども几帳面に教えてくれた。そんな意味でもMVPは当然彼のものだ」

 
--昨年、ペナントリーグで28試合に出場し、21勝4敗、防御率1.87で最多勝、最高勝率、防御率ともに1位でMVPになった。さらに最高投手に与えられる沢村賞も受けた。ところで、今までの野球人生の中でスランプはなかったのか。

「2000年に入団した近鉄が2004年に解体され、紆余曲折の末に楽天に移った。以後、ひじの負傷とスランプなど苦しい時期があった。2007年には右ひじの軟骨除去手術を受け、投球フォームも変えた。苦しい時期に支えになってくれたのは家族だ」

--良いお父さん、愛妻家として有名だが。

「グローブに妻と子供たちの名前を刻んだことからそんな噂が立ったようだ。昨年春、キャンプが始まったころ、妻と当時4歳だった娘が『冬が過ぎれば必ず春が来る』というタイトルで6ページの絵本を作ってくれた。春から始まり、夏・秋・冬とつながる絵本だったが、それを見ながら勇気をもらった。それまでは勝てばいいという考えだったが、野球ができるということに対する感謝の心、負傷で出場できないときも影で応援してくれる人々の存在が分かるようになった。以前よりもっと真剣に野球に接することができるようになったと思う」

--野球を始めたきっかけは。

「普通の日本の男の子のようにテレビで野球の試合を見て、友達や兄とキャッチボールをしながら始めた。小学校1年生のときだった」

--日本最高の高校野球大会と呼ばれる日本全国高校野球選手権大会(甲子園大会)には出場したのか。

「1年生のとき、我々のチーム(堀越学園堀越高等学校)が甲子園に出場したが、あのときは出場メンバーに入れず、ベンチにも座れなかったので応援席に座っていた。3年生の夏、西東京大会で4強に入った。甲子園には行けなかったがスカウトマンに指名された」

--昨年プロ野球界で社会に貢献した人に与えるゴールデン・スピリッツ賞を受けたが。

「普段から福祉事業に関心を持つ妻の勧めで近鉄時代から少しずつ寄付活動をするようになった。2年前からはタイなどアジア地域の子供たちを支援する団体を通じて1勝ごとに10万円ずつを積み立ててきた。昨年、そのお金でタイのラノン地域にある小学校に私の背番号を取った“ピースフル・ワールド21”という名前の図書館を建てた。子供たちに夢と勇気を与えるのが私の目標だ。これからも小さな力でも貢献したいと思っている」

--オフシーズンで訓練のないときはどんなことをしているのか。趣味は何か。

「普段どおりの訓練はしている。趣味はゴルフだ。平均90打。子供たちと遊ぶときがいちばん楽しい」

--メジャーリーグに進出したい気持ちはあるのか。

「今の最大の目標はチームを優勝に導くことだ。そして野球をなるべく長くできるよう自ら身体を管理することだ。メジャーリーグという選択肢もあるが、今はその考えはない」

◇岩隈久志(イワクマヒサシ)=1981年4月12日、東京生まれ。小学校1年生のときから野球を始め、堀越高校3年生の夏、西東京大会で4強に入る。99年、ドラフト5位で近鉄に入団。2001年5月、日本ハム戦でプロ登板初勝利。2004年には最多勝と勝率1位のタイトルを手にするなどベストナインに選ばれた。21歳で結婚、1男(3カ月)1女(5歳)がいる。身長190センチ、体重84キロ。


「子供たちに夢と勇気を」楽天・岩隈投手インタビュー(1)

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