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「14歳の抗日愛国志士」記念事業、空言に終わる?

2009.03.02 08:40
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「最年少の抗日愛国志士」と認められた朱在年(チュ・ジェヨン、1929-1944)烈士の記念事業が3年間スタートすらできずにいる。

 
朱烈士の子孫らが1日に伝えたところによると、全羅南道(チョンラナムド)と麗水市(ヨスシ)は06年、朱烈士が「少年愛国志士」として注目を集めた後、記念事業を積極的に進めると約束したが、現在までこれといった事業が進められていない。

全羅南道麗水市突山邑(トルサンウプ)ジャクグム村で生まれた朱烈士は06年8月、国家報勲処から「抗日独立運動・建国勳章の民族愛」章を受けた。朱烈士は14歳だった1943年に「日本が近く敗亡する」と主張した罪で、4カ月間収監された後、出所したが、拷問の後遺症で1カ月後に亡くなった。

朱烈士の主張は人から人へ言い伝えられていただけだったが、子孫が裁判記録を探し出した後、公論化し、勲章の授与につながった。報勲処は「抗日独立運動に関連、少年に実刑が言い渡されたケースは確認されたものがない。日本による植民支配時代(1910-45年)に行われた、最年少者の抗日運動と評価される」と説明した。

全南道と麗水市は、朱烈士の抗日運動が注目を集めたのを受け「生家の復元と記念館の建設などで功績を伝える」と発表した。全南道側は当時「独立運動家の柳寛順(ユ・クァンスン)烈士の記念事業以上に大きな規模で進める」とし「09年の3.1節(3月1日の独立運動記念日)第90周年の記念式は、チャックム村にある生家の跡地で行う」と強調した。

しかし住民によると、これまで記念事業として進められたものは一つもない。朱烈士のおい、チュ・チュンベさん(72)は「植民支配時代に少年が血書を書いて犠牲になったのに、故郷の麗水市すらきちんと対応してくれず、残念だ」と話した。

これに対し、全南道は「麗水市が同事業に積極性を示さず、手放しているほかない」という立場だ。麗水市は「地域出身の独立功労者の記念事業を進めた前例がなく、時間がかかっている」と釈明した。麗水市の福祉行政担当は「ほかの独立功労者との公平性を確かめている」とし「近く現場調査を通じ事業の推進を検討する」と付け加えた。

住民のパク・チェヒョンさん(28)は「朱烈士記念事業を公言した前任の市長が辞任し、新しい市長が就任した後、関連事業すら漂流していているようで、残念だ」と語った。植民支配時代の裁判所の判決文によると、朱烈士は、小学校を卒業し家で農作業を手伝っていたころ、町の壁などに「朝鮮と日本は別の国」「日本の奴は敗亡」「朝鮮万歳」などと刻んだ。

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