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【噴水台】無明の火

2008.10.23 18:22
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寺で断髪をするのには事情がある。髪は煩悶と欲望の象徴と見なされる。世俗的な煩悶に隠れ、仏の教えをきちんと習得できないのではと恐れて髪を切る。髪はそれで明るさを覆う草という意味の‘無明草’という名前を得た。

 
この無明は煩悩の大きな根だ。ありのままに物事を見られない大きな闇と愚かさを意味する。人生の苦難と煩悶を導いていく十二因縁の最初だ。この無明を除去してこそ悟りにいたるというのが仏家の切実な教えだ。

理由なく胸中から込み上げてくる正体不明の火がある。名付けて無明火だ。唐の時代の宰相の裴休が一度、寺を訪れた。壁に書かれていたこの‘無明火’の3文字を見て意味を尋ねた。禅僧として有名な黄檗禅師が「それも知らないのか」と問うた。

自分の身分の高さを誇示したのか、裴休は「私は唐の宰相なのに、インドの経典がなぜ分かるのか」と返した。すると、黄檗禅師は「無明の火がここで生じた」と答えた。学ぼうとする切実な心よりも、自身の身分を意識し、怒りだけを前面に出した裴休の心をいったものだ。

英明なこの宰相はすぐに理解した姿を見せる。すると、黄檗禅師は「無明の火がいま消える」と言った。相手の心をそのまま指す仏家の直指人心だ。

無明は目の前を覆う障壁だ。それが深くて厚ければ心病、すなわち精神疾患に発展する。そこから出てくる火は自分自身を燃やし、さらに社会を燃やす。その無明の火を大事に持っていたある老人によって国宝1号の崇礼門(スンレムン)が焼失したのは今年初めだ。さらに一昨日、ある若者が考試院(受験生用向けの宿舎)に火をつけた後、走って出てくる人たちを刃物で刺して殺害した。韓国社会の精神的不安定性を見せる‘無差別殺人’の典型だ。

無明をなくし、心を治める努力は東洋精神文明の長い間のテーマだ。個人的な修養の大きな領域だ。しかし韓国社会が見せる無明の程度は個人的修養の次元を越えた。理由なく燃えるあれこれの火が普通でないからだ。その原因は何か、これからは社会病理学的次元で真剣に接近してみなければならない。

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