春秋時代の5人の覇者の一人、斉の桓公の死は、彼の生前の業績とは違って悲惨だった。 側近料理士出身で、自分の息子を殺してゆで、王の食卓に出した易牙という人物により、飢え死にさせられたようなものだったからだ。
易牙は他の奸臣とともに王の寝所の近くに壁をつくる。 王がそのように命令を下したと嘘をつきながらだ。 王宮内の人の出入りをすべて統制した奸臣らは、事実上、王の役割をしながら権力を壟断する。 桓公は死後67日間放置されたという。 桓公の5人の息子は、父の死も知らないまま権力を握るために争いを繰り広げ、国力を低下させた、というのが後の話だ。