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「統戦部が反韓国団体結成を指示」…単独インタビュー(3)

2008.09.08 18:32
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--当時の統戦部の人物について話してほしい。

「総括担当にチョン・キョンナムがいた。 父が死亡する前の00年ごろ、私は『韓国へ行く。 整理することがある』とウィーンのイ・ヨンソンに通報した。 するとチョン・キョンナムが平壌からカンボジアに飛んできた。 高官が出てくるのは珍しいと聞いた。 チョン・キョンナムは『韓国に行けばどうなるか知っているのか』と脅迫した。 父はチョン・クムチョルの管理も受けていた。 私の場合、チェ・スンチョル、イ・ドンシクが担当していた」

 
--イ・ヨンソンが核心人物だと言ったが。

「90年代初め、30歳代の若い年齢でウィーンに派遣されてきた。 いまは45歳くらいだ。 北朝鮮工作員養成所の金正日(キム・ジョンイル)政治軍事大学戦闘員出身だ。 統戦部の核心要員で、夫人イ・ソンシム(43)は海外要員監視任務を担当している国家保衛部要員だ。 財政次長・局長・事務総長・執行部局長など核心業務を遂行してきた。 張雄(チャン・ウン)総裁を‘張先生’と簡単に呼べるITFの核心人物だ。 張雄が『音の出ない銃であいつを撃ちたい』と話すほど傲慢だった。 酒が好きで、自由思潮に染まり、一人で市内を歩き回ったりもした。 米国で暮らしたいとも話していた。 07年4月に北朝鮮ITFテコンドー演武団に含まれ、張雄とともにソウルを訪問した」

--それなら80年代以降、ITFは統戦部の前衛隊だったといえるのか。

「100%そうだ」

--統戦部がITFに反韓国団体の結成を指示したと聞いたが。

「そうだ」(崔氏は師範の名前を挙げるのをとまどった。 当局者の説明は以下の通り。 89年、パク・ジョンテ当時ITF事務総長とハン・サムス師範にカナダで祖国統一促進会の結成を指示。 82年7月、ドイツのウォン・ビョンホ師範(当時61歳)に‘在ドイツ韓国人反転反核連盟’という反韓国団体組織を指示。 94年、チョ・デソン師範に‘祖国統一ワシントン連合会’結成を指示。 95年6月、‘朝米朝鮮親善協会’組織を指示。 95年1月、スウェーデンのイム・ウォンソプ師範(当時65歳)に‘ベダル民族平和統一促進会’結成を指示。 こうした団体はすべて結成され、反韓国活動を行った)

--北朝鮮からはどれほどの資金が支援されたのか。

「父はITF運営費に数千万ドルを要求した。 統戦部は数年に分けて支援した。 北朝鮮は毎年30万ドルほどの組織運営資金と120万ドルほどの世界大会経費を支援したと聞いている」

--父親の死亡後、ITFが分裂した理由は。

「01年にイタリア・リミニで開かれたITF第13次総会で問題が生じた。 6年任期の総裁に再当選した父親が03年、突然引退を宣言した。 父が北朝鮮の圧力で動かされたことを知った。 少壮派が反発し、‘残り4年は現事務総長の崔重華(チェ・ジュンファ)が総裁になる’という案が提出され、採択された。 父と息子が席をめぐって争う格好になった」

--それでなぜ組織が分裂したのか。

「ところが6カ月後、北朝鮮が秘密裏にウィーン総会を開催した。 私の支持者には‘私的会議’だと言って参加を阻止した。 私は‘非合法総会には参加できない’と宣言し、出てきた。 すると総会の決定で私を事務総長から解任した。 父は泣いていた。 後に‘ITF除名’を書面で通報された」

--父の真意はどこにあったのか。

「父が死亡した3カ月後の02年9月、平壌人民文化宮殿で追慕会があった。 ところが5分間の休憩中に追慕会の幕が非常総会に変わった。 そこで韓国語で‘張雄IOC委員を総裁に推戴する’という案件が上程された。 通訳もなかった。 追悼式と思って参加した外国人が呆気にとられている間、拍手で通過した。 私は01年のリミニ総会の決定を継承したITFの正統総裁の席を守っている」


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