1980年代後半に米国で初めて登場した「公共ジャーナリズム」(civic journalism)は‘市民の中に入り込むメディア’を標ぼうした。市民(読者)を受動的な消費者に転落させず、ニュースの生産過程に積極的に参加させ、共同体の主体として誕生させなければならない、ということだった。メディアもまた、単なるニュース伝達者ではなく、一つの社会の公共領域が民主的に運営されるのに寄与するべきだとし、社会的な責任を強調するものでもあった。
言論学者のロジェンは公共ジャーナリズムについて「メディア関係者が市民をニュースのネタや野次馬と見なすのではなく、公衆として、そして時事的な問題に対する潜在的な参加者と見なしながら、問題を知ることにとどまらず、解決するための政治的行動を模索するのに寄与する」と書いた。たとえば選挙期間中、公共ジャーナリズムを選んだ報道機関の記者らは、有権者の中に入り込んで市民の意見を聞き、政界が投げかける問題ではなく、市民が提起する議題を中心に取材した。米国では2000年までの10余年間、213都市・275報道機関で550余りの公共ジャーナリズムプロジェクトが遂行された。