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<朴槿恵元大統領単独インタビュー>「弾劾、すべては私の不徳の致すところ…国民に心から謝罪」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.09.26 14:24
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◇「安全保障に必須のTHAAD・GSOMIA…すべてやって監獄に行ったのはよかった」

--2017年10月一切の裁判を拒否してその後出廷しなかった理由は。

 
「国政運営をしながら私が一部間違えたことはあったが贈収賄罪で起訴されて弾劾されるほどのことはしていないと考えた。そのため1週間に4度の裁判も甘受して体力的に限界に来ても裁判所を信じて我慢した。ところがその後裁判所が追加拘束令状を発行するのを見て『公正な裁判や結論を期待することはできない』と考えた。それで裁判放棄を通知した。どんな刑量が出てきても結局は後で事実が明らかになるだろうと信じていた」

--国会弾劾表決の際、一部の親朴系議員も賛成票を投じたと言われているが。

「『いわゆる親朴』という議員のうちで弾劾に賛成した議員もいて、長い収監期間に私のもとに一度も様子を見に来たことのない議員がほとんどだ。弟〔朴志晩(パク・ジマン)EG会長〕の友人である議員も、院内代表だった議員も弾劾に賛成したという話を聞いて人の信頼と人間について深く考えることになった」

--2015年木箱入り地雷挑発事態時は南北間緊張が準戦時状態に達するほど南北関係が揺れ動いた。それでも朴槿恵政府は北朝鮮に融和ではなく原則的姿勢を維持したという評価を受けた。

「北朝鮮政策は『我々の安保はきっちり守る』という原則に忠実に、また一方では北朝鮮の非核化を誘導するための努力を継続的に行ってきた。水面下接触はなかったが、北朝鮮が前向きな姿勢を示せばいくらでも対話する用意があるということを何度も明らかにしてきたし、そのような基調下で『ドレスデン宣言』も出てきたのだ。実際に2015年までは南北間の信頼構築のための取り組みが続いていた。ところが2016年に入り北朝鮮が核実験をしたりミサイル発射で挑発したりして暫定的に交流が中断された。(その後)強力な韓米同盟、国際社会との共助体制を構築して『国際社会対北朝鮮』の構図が定着した」

--2015年12月28日に韓日慰安婦合意を発表した。当時慰安婦合意は韓日両国で歓迎されにくい外交的難題であり、政治的利益を得るのも難しかった。それでも推進した理由は。

「『慰安婦被害者』問題は当時24年間にわたって韓日間の歴史問題の核心懸案だった。未来世代までずっと引っ張っていくことはできないと考えた。合意書を作る時、当事者の方々の意見も聞いて合意書を作成した。我々が日本に要求した3大核心要求事項がまさに被害者の方々の要求だった。もちろん韓日両国が多くの努力と協議を重ねたが、米国と国際社会の多角的な外交的努力を傾注した結果として合意に至ったのだ」

--文在寅(ムン・ジェイン)政府で和解・癒やし財団が解散したが。

「国際的に共感を得ながら多くの努力を傾けて作った財団をこのように解散させてしまったら韓国の信頼性はどうなるだろうか。この財団が解散した後に何か他の代案があるのか、またもっといい他の方法があるのか分からない」

--2016年下半期に国会から弾劾推進の話が出る時だったが、外交的難題だったGSOMIA締結を強行して当時野党が激しく反発した。

「北朝鮮が2016年に2度も核実験を行い、24回も弾道ミサイル発射で挑発した。本当に厳しい安全保障状況で韓国軍は情報能力強化のためにGSOMIA協定が締結されるよう望み、米国も韓日両国が円滑な情報交換ができず非常に骨が折れると話していた。そのため国会で弾劾を議論中だったが『大統領として安全保障のために、もしかしたら最後になるかもしれないが、やらなければならないこと』だと考えて推進した。これをやり遂げられずに監獄に入っていたら、どれほど心苦しかっただろうかと考えると、幸いなことに慰めにもなった」

--2016年THAAD配備も迂余曲折が多かった。

「THAADは急増する北朝鮮の脅威から我が国を守るための最小限度の自衛的防御措置だった。中国は反対したが国民の安全よりも重要な価値がどこにあるのかという認識で原則を守って推進した。THAAD配備発表後に北朝鮮が5回目の核実験を行ったが国連安保理がこれまでになく強力な措置が入った決議案を採択する時、中国も積極的に協力した。その程度で(韓中協力は)続いた。THAADの敷地を決めるためにさまざまな反対があったがロッテが中国事業の損失を甘受してゴルフ場の敷地を提供した。ロッテグループの愛国心に感謝を表する」

--拘束収監された状態で文在寅政府の誕生を見守ったがどんな心情だったか。

「大統領選挙の消息を聞いて本当に複雑な気持ちだった。文在寅政府が入った後に北朝鮮の核に対する対応方式や同盟国との不協和音の便りを伝え聞いて国の安保をはじめ、いろいろと心配になった」

--2020年総選挙当時に獄中書信を通じて『既存の巨大野党(未来統合党、現国民の力)を中心に太極旗を手にした皆さん全員が一丸となって力を合わせてくださるよう呼びかけたい』と訴えたが、当時どんな心境だったか。

「総選挙で(保守が)多数党になってこそ文在寅政府を牽制(けんせい)できるはずだという気持ちでひとまず団結して選挙に勝つことが重要だと考えた。私も個人的にさまざまな不便はあったものの、とりあえず脇に置いて、まずは『保守勢力が団結しなければならない』というメッセージを出した」

--「朴槿恵政府は失敗した政府」という一部の評価に対してはどう思うか。

「私が任期を終えることができなかったせいでに『個人的に失敗した』というならそれは私は受け入れる。だが『政策的に失敗した政府』というなら、一体どのような政策が間違っていたのか分からない。『統合進歩党解散』や『公務員年金改革』、『開城(ケソン)工業団地閉鎖』『THAAD配備』などは国運がかかった問題なので、何があっても必ずやり遂げなければならないと考えた。創造経済革新センターは第4次産業革命時代に沿う役割を期待してさまざまな努力を詰め込んだ政策だ。私が弾劾される前からすでに相当な成果が出始めていて、やりがいをとても感じていた」

--公務員年金改革は結局政治的負担となって2016年総選挙敗北に影響を与えたという評価もある。当時公務員年金改革を総選挙以降に遅らせるべきだったと考えたことはないか。

「そういうことこそ大統領がするべきことだと思った。(公務員年金改革は)ずっとやらなければならないと分かっていながらも手をつけられていなかった。時限爆弾のように爆発することが分かり切っているのにそのままになっていたのだ。だから『大統領が決心してやらなけれな永遠に無理だ』と考えた。国民に公務員年金赤字のために一日に80億ウォンずつ税金がかかり、今年改革することができなければ来年からは一日100億ウォンかかるということを繰り返し伝えた。本当にやさしいことではなかったが合意機構を作って多くの議論をした末に決定された。そのせいで(総選挙への)影響はあったかもしれない。しかし時間が経つほど負担がどんどん重くなるということを知っていながら(改革を)しなかったとしたら、かえってもっと大きな自責の念にかられていただろう」

--国政壟断事件特検のチーム長だった尹錫悦大統領が保守陣営の大統領選候補で政権交代を成し遂げた。現政権の方向性と国政運営はどのようにみるか。

「まずは左派政権が延長されないで保守政権への交代が行われたことに安心した。当時捜査チームに参加した検事の中には尹錫悦政府で長官や要職に皆さんが就いていることは知っている。しかし人事は人事権者が選択して決めるため、これについて言及するのは適切ではないと思われる。そして今、政府が発足して1年4カ月ほどになったが、政府の方向・政策に対して評価するのはやや性急な感じがする。もっと言えば、前職大統領としてこのような問題に言及するのは望ましくないと思う」

--来年総選挙を控えて過去の親朴系の人々が出馬して再起するだろうという観測が出ている。

「個人的に来年の総選挙に対して格別な計画はない。『政治的に親朴はいない』と何度も言った。過去に政治をした人が再び政治を始める問題は個人の選択なので私が言及することではない。ただし、政治を再び始めながら、これが私の名誉回復のためのもので、私と関連したものだということは言わないでほしい。過去の縁は過去の縁として通り過ぎていってほしい」

--ウリ共和党は今でも「弾劾無効」を主張している。もし彼らが「朴槿恵大統領名誉回復」を名分に来年総選挙候補を出すなら。

「ウリ共和党が弾劾無効を主張して多くの苦労を経験したことはよく知っている。だが、一般国民の立場と政治家の立場は純粋性において違うと考える。来年の総選挙で政治家は自分の政治をすればいい。選挙に出て私の写真を掲げて『私の名誉回復のために出馬する』という話はもうこれ以上してほしくない。もちろんここ数年間、私のために苦労された多くの国民には無限の感謝を感じている」

--71歳を迎えた。今後、残りの人生はどのように送りたいと考えているか。

「今まで個人的な生活よりも公的な生活を送ってきたようだがそれも運命ではないかと考える。政治の一線からは離れたが、国に少しでも役立つことで私に何かできることがあればやりたい。それが国民が私に送ってくださった愛に少しでも報いることではないかと考える」

<朴槿恵元大統領単独インタビュー>「弾劾、すべては私の不徳の致すところ…国民に心から謝罪」(1)

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