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トランプ大統領を魅了した外交官出身の皇后、日本は雅子時代の幕開け

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.10.23 08:55
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22日、即位式に臨んだ徳仁天皇(59)の雅子皇后(56)は結婚前、「世界平和のために仕事をする」という大志を抱いた外交官だった。仕事のために皇太子の求婚も7年間断ったほど外交に対して愛情が深い。ある外交消息筋は「皇后として登場してからも外交官試験の合格同期が海外に赴任すると祝賀の電子メールを欠かさず送る」と伝えた。

即位式を迎えた雅子皇后の感慨はひとしおだったに違いない。皇太子妃時代は雅子皇后にとっては暗黒期だったからだ。雅子皇后は世継ぎの男児を出産するよう願う皇室内外の圧迫に苦しめられ、適応障害判定を受けて帯状疱疹も患った。約10年間療養しながら公務も完遂できなかった。

だが、即位式と共に雅子皇后の暗黒期は終わった。今は雅子皇后が外交官としての資質を生かし、新しく積極的な皇后像を確立できるか注目されている。雅子皇后は昨年12月9日、自身の誕生日に際して声明を出し、「国民の幸せのため力を尽くしたい」と抱負を明らかにした。

22日午前、即位式のために住まいの赤坂御所を離れる雅子皇后の表情は明るかった。笑顔を浮かべて市民に手を振ったり軽く目礼をしたりした。雅子皇后が乗ったトヨタセンチュリーには日本皇室を象徴する菊花紋章があしらわれた旗が翻った。即位式では十二単と呼ばれる装束を身に着け、厳粛な表情で儀式に臨んだ。15キロに達する礼服姿で微動だにせずに祝賀使節を迎えた。

雅子皇后時代が公式に幕を開けたのだ。皇后としてのデビュー舞台は、今年5月ドナルド・トランプ米国大統領の訪日行事だった。

5月27日、皇居の晩さん会で、外交慣例上、雅子皇后は主賓であるトランプ大統領の右側に着座した。1時間以上の晩さん会の間、通訳は口を開く必要がなかった。雅子皇后が流ちょうな英語でトランプ大統領と直接話をしたためだ。トランプ大統領は雅子皇后に繰り返し質問を投げ、その受け答えを聞きながら明るい笑顔を浮かべた。メラニア夫人とも両頬にキスを交わすほどの親交を築いた。日本メディアもそれに対して「気品があふれている」として熱狂した。雅子皇后の外交官DNAが光ったデビューだった。

雅子皇后の父親である小和田恆氏も外交官だった。雅子皇后には外交官の血が流れているといえる。父親の小和田氏は駐米日本大使館公使など要職を経て国際司法裁判所(ICJ)の所長などを歴任した。父親のあとについて、雅子さまは幼少のころから米国やロシアなどの地で成長した。そのため英語・ロシア語・フランス語にも堪能だ。ハーバード大学で経済学を学んだ雅子さまは卒業と同時に優等生である「マグナ・クム・ラウデ(Magna Cum Laude)」に選ばれた。雅子さまの指導教授だった著名経済学者のジェフリー・サックス氏は「夜遅くまでコンピュータにかかりきりだった彼女の姿は忘れない」と言って好評した。

帰国後、雅子さまは東京大学法学部3学年に編入する。まもなく中退するが、司法試験に合格したためだ。87年から外務省勤務を始めた雅子さまには運命の出会いが待っていた。雅子さまが86年外交官試験に合格した当時、女性外交官は極めて珍しかった。テレビ東京の当時のインタビュー映像で、雅子さまはショートカットヘアに明るい笑顔を浮かべながら「結婚しても仕事は続けたい」「女性も外交官ができる時代になったと思う」とはきはきした様子で受け答えをした。

しかし同年、スペインのエレナ王女の歓迎レセプションに新入外交官として出席して雅子さまの運命は一変する。徳仁当時皇太子が雅子さまに一目惚れしたためだ。徳仁皇太子は「雅子さんが自分の考えをしっかりと話すところが気に入った」とし「雅子さんと話を交わすのが楽しい」と明らかにした。

その後、徳仁皇太子は繰り返し求愛を続けたが、雅子さまは業務に集中した。英国オックスフォード大学に研修のため向かった後も徳仁皇太子の求愛は続いたが、雅子さまは外交官の道を歩くという考えを曲げなかった。徳仁皇太子が「雅子さんでなければ結婚しない」と話し、2人の結婚のために外交官が総出動し、雅子さまの父親まで説得に乗り出し、2人のティータイムを用意した。

この席で皇太子は「(結婚すれば)外交官を辞めなければならないのは事実だが、皇后として私と一緒に皇室外交官になるのはどうだろうか」という論理で雅子さまを説得したという。徳仁皇太子が「一生全力でお守りします」と述べた話は日本の若者の常連プロポーズ文句になった。

しかし、雅子さまの試練は結婚発表記者会見から始まった。謙虚な姿で会見に臨んだが、日本保守派は「夫より19秒も多く話すとは生意気だ」とか「夫より背が高い」などと難癖をつけた。

結婚初期は外交に関与して積極的な姿を見せたが、「妊娠はなぜできないのか」という批判に苦しめられて結局、休養に入った。流産後、2001年に娘の愛子さまを出産したが、男児の出産を願う圧迫はさらに深刻だった。だが、このような試練はもう過去のものになった。

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