【その時の今日】永遠に癒やされない傷、庚戌国辱
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.08.27 17:05
1910年8月29日。 徳川幕府末期にすでに芽生えていた征韓論が物語っているように、明治維新(1867年)以後に近代帝国主義国家に生まれ変わる前から、この地をのみ込もうした侵略者は宿願を果たした。 半面、私たちは35年後の8月15日、光復(解放)のその日が来るまで、有史以来初めて国土と民族が、従来一枚下だと見下げていた文化的劣等者に踏みにじられる痛恨の歴史を刻んでしまった。
「合併後の日本の朝鮮統治政策を見ると、合併時の宣言に反して、吾族の幸福と利益を無視し、征服者が被征服者に対する古代の非人道的政策を襲用し、吾族に参政権、集会結社の自由、言論・出版の自由などを許さなかった。 さらに信教の自由、志業の自由までも少なからず拘束し、行政・司法・警察などの諸機関が朝鮮民族の私権までも侵害し、吾族には永遠に国家生活に必要な知能と経験を得る機会を与えず、吾人は決してこうした武断専制と不正・不公平な政治下で生存と発展を享有できない」。1919年、自らを「2000万の民族の代表」とした東京留学生たちの「独立宣言書」は、日帝が私たちから何を奪っていったのかを一つひとつ語っている。